宮古島100km試走会完走記

スタート前 3月2日、「うえのドイツ文化村」スタート・ゴールの
宮古島100キロ試走会が行われた。この大会は
将来の大会開催へ向けて、全国各地のウルトラ
ランナーに文字通り、コースを試走してもらおうと
いう趣旨のもので、海宝道義さん、香川澄雄さん
等の呼びかけで実現される事になった。
午前5時、まだ夜の明けきらない「うえのドイツ文
化村」をスタート。ランナーが雄たけびを上げなが
ら一斉に飛び出す。私はマイペース=キロ7分で
制限時間(13時間)内完走を目指していた。
初めから暑さとの戦いになるだろう事は予想して
東平安名崎の入り口 いたが、この時の暑さは多くのランナーの予想を
はるかに越えていた。日中の最高気温は25℃と
の事だが、コース上に陽射しを遮るようなものは
何もなく、アスファルトの照り返しなども考えると道
路上は28℃くらいはあったような感覚だ。おまけ
に宮古島は山が無いので平坦なコースと思ってい
たが、実際は全く逆でアップダウンの連続で、これ
もかなり負担になった。
私は55キロ池間島まではキロ7分をキープできた
が、60キロまでの5キロに40分かかってしまい、
帰りの池間大橋あたりはかなりツラくてこのまま橋
東平安名崎を折り返す走友達 からエメラルド・グリーンの海に飛び込んでしまおう
かなどと本気で考えてしまう程だった。65キロから
は歩きとジョグのような走りの繰り返し。10キロ毎
にエイドがあるのだが、胃がやられてしまったらし
く、固形の物は受け付けず冷たい水ばかりを補給
していた。70キロから80キロまでの10キロはほ
とんど歩き通してしまった。私はこの時点で九分九
厘、完走は無理だろうと諦めかけていた。
80キロのエイドで巨人軍団の会長・斉藤さんと他
に女性ランナー3人と一緒になった。制限時間まで
はあと2時間。「ちょっと間に合わないねぇ」と落胆
私の母もボランティアをしていました した顔で話していると、ちょうどそこへコース上を巡
回していた海宝さんの車が横付けされた。海宝さ
んは笑顔で「調子はどうですか?」と聞いた。斉藤
さんが「暑くて胃がやられちゃって参っていますよ」
と作り笑顔で答えた。海宝さんは「まだ2時間ありま
すから、最後まで楽しんで下さい」と言った。この時
一緒にいた女性のうちの一人が「でも海宝さん、残
り20キロで2時間じゃあちょっと間に合わないよね」
と言った。多分これはこの時ここにいた5人全員が
同じ考えだったと思う。すると海宝さんの顔が一瞬
のうちに紅潮して「あなた方は痛いの痒いの言い訳
池間島の入り口。暑い。 ばかりしてすぐに諦めるが、やってみなくちゃ解らな
いじゃないか。2時間あれば歩きと走りを交えて工
夫すれば何とかなるじゃあないか。」続けて「とにか
くあなた達の為だけにいつまでもゴールを開けてい
る訳にはいきませんから、ショートカットしてでもいい
から13時間以内にはゴールに戻って下さい。」最後
は吐き捨てるように言って車を発車して行ってしまっ
た。私は自分の頭に血が上るのを感じた。海宝さん
にではない。今まで走れない理由ばかりを愚痴って
いた自分自信に腹が立ってしょうが無かった。斉藤
さんも顔が紅潮しているのがわかる。斉藤さんと顔
を見合わせて「行けるところまで行こう。」そして走り
始めた。今まで10キロ以上も歩いていたのが嘘のようにペースを上げる。「畜生。何が
何でもゴールしてやる。」怒りがそのままパワーになっているみたいだ。この時私は自分
が走れる理由を色々と考えていた。
「午後4時を過ぎて大分涼しくなっているはずだ」「今まで10キロ以上も楽をしていたんだ
から体力も残っているはずだ」「20キロのベストは1時間20分だ、楽勝じゃないか」「80
キロのエイドでバナナを3本も食べたから体も復活してくるはずだ」「高校の野球部の時
の夏合宿に比べればこんなのへっちゃらじゃないか」等々。
83キロで斉藤さんが遅れ始める。しかし私は振り向きもせずに前進した。85キロまでの
5キロを25分で走る。息も上がるようなペースだ。86キロ付近を走友の加藤三雄さんが
歩いていた。「オッス」と声を掛けて追い越して行く。「おい、どうしたんだよ」と言われたの
で「ロング・スパートです」と手を上げて答えた。
86.5キロにあったエイドはまるでフルマラソンのエイドのようにコップを拾い上げて通過
する。ボランティアの人達が「おおっ」と声を上げた。
「行きますよー」と私は興奮して言った。この時の私には何人も近寄れないほどのオーラ
が全身から発せられていたに違いない。
来間島を周り、折り返しの来間大橋の中間が90キロ地点だ。しかしこの5キロは体感速
度より遅く、40分かかった。90.5キロのエイドで制限時間まで残り53分。
「さすがにキツいかな。でも最後まで諦めないぞ」
そして信じられない事に95キロまでの5キロを20分で走った。勿論これは完全に表示が
間違っていたのだろう。肯定する訳ではないが、小さな大会ではよくある事だ。これで残
り5キロで制限時間まであと35分だ。何となくゴールが見えてきた。
残り4キロで先程歩いていた加藤さんが追いついてきた。「まだまだ兄ちゃんには負けら
れないからな」そう言って今度は逆に私を抜き去って行った。何だかすごく嬉しかった。
「うえのドイツ文化村まで2.2km」という看板があった。制限時間まであと23分ある。
「イケるー」と私は大声で叫んだ。まさに興奮状態だ。緩やかな坂を登りきると博愛記念
館のお城の先端が見えた。もう歩いても間に合う。しかし私は最後まで走りきりたかった。
「うえのドイツ文化村」の入り口を右に曲がるとゴールまで200mだ。
ここで加藤さんが私が来るのを待っていてくれた。
「俺がゴールできるのも兄ちゃんのお陰だ。最後は一緒に行こう」
ゴールの先で海宝さんが手を振って待っている。「おーーーーい」
私は加藤さんと手を繋ぎながら、しかし最後までスピードを緩めずにまるで100m走のフ
ィニッシュのようにゴールテープを切った。そしてそのまま海宝さんの胸に飛びついた。
   根性のゴール!      レース後の海宝さんは優しかった。
12時間48分43秒。最後は制限時間まで10分以上の余裕があった。
「勝ったー」私は自分の弱さに打ち勝ったような気がした。
もしもあの80キロ地点で海宝さんに怒られなかったら、優しい言葉の一つでも貰っていた
なら、この完走はあり得なかったと思う。
ウルトラマラソンは復活するものだと聞いていたが、気持ちが切れていたのではそれも望
めない。
どうやら「完走できる理由を拾い集めながら往く」のがウルトラマラソンなのかもしれない。
結局この日、最終ランナーが戻って来る午後9時過ぎまでゴールは開いていた。
レース後の懇親会で。