2001SPARTATHLON 完走記

 

午前7時、2001スパルタスロンの号砲が鳴り200人近くのランナーがアクロポリスの前を一斉にスタート。
私はスタート地点では一番後ろに並び、周囲のペースに合わせるようにゆっくりとスタートを切りました。
今回私の頭の中にあった目標ペースは最初の50km地点を4時間20分前後で通過するようなスピードで走る事(キロ510秒ペース)
それ以降はその時々のコンディションに合わせて無理のない走りをしようと思いました。
序盤はどのランナーも足取りが軽いので、全体のやや上がり気味のペースに惑わされないようにマイペースを心掛けました。

AS(エイドステーション)№13、50km地点の通過が4:19'53"で、狙い通りのスプリット。
昨年の通過よりも30分以上遅いのですが、タイムよりも体力的な貯金ができたと思い、記録の事は気にしていませんでした。
しかしこの付近から早くも両太腿に筋肉痛があり、残り200km近くの距離を考えるとこちらの方が不安でなりませんでした。

AS№22、最初の主要なCP(チェックポイント)、81km地点のコリントス通過が7時間04分。
昨年よりもまだ20分以上遅いのですが、この地点で3位まで順位が上がっていました。
この時点でのトップはブラジルのプロランナー、ヌネス。
元100kmの世界チャンピオンでもあり、戦前の予想では序盤は彼がぶっちぎるだろうと言われていましたが、彼の通過は私の20分前という事だったので、抑えているなぁという印象を受けました。
その後、大滝さん、コヤゴさんらと暫らく2位争いを展開していましたが、その中から大滝さんが抜け出し、私が彼に続きました。
スタートから暫らくはあまり暑さを感じませんでしたが、コリントスから以降の20km間くらいは風も無く気温もグングン上昇し、水分補給の量も増えて胃にちょっとした痛みを覚えました。

AS№32、113.1km地点で大滝さんに追い付き、暫らく並走する事に。
117km地点ではトップとの差は16分まで縮まっていました。

AS№35、2番目の主要なCP、124km地点のネメア通過が11時間05分。
ここから私が単独で2位に上がり、20分差のトップ、ヌネスを追う展開になりました。

AS№40、140.2km地点で辺りは真っ暗になり、ちょうどここに預けておいたライトを携帯しました。

AS№43、3番目の主要なCP、148.5km地点のリルケア通過が13時間35分。
この時点でトップとの差が30分に広がっていました。
ここから約10km続く登り坂を歯を食いしばって走り通し、昨年リタイヤした159.3km地点のサンガス登山口に着く頃にはヌネスとの差は再び20分に。
サンガス頂上までの登り2.3kmは全て歩き通し、そこからの下り2.7kmは早や歩きのペースで無事に乗り切りました。

AS№52、4番目の主要なCP、172km地点のネスタニ通過が16時間30分。
ヌネスとの差はここまで20分をキープしていたのですが、ここから彼がペースアップしたようで、それ以降各AS毎にその差がみるみるうちに広がっていくのが分かりました。
私はトップを追いかけるのを諦め、何とかこのままの順位とペースを保とうと気持ちを切り替えました。
50km付近から発生した両太腿の筋肉痛はそれ以降良くなる兆しも見えず、むしろ距離を追う毎に酷くなっていくように思いました。

AS№60、5番目の主要なCP、195km地点のテゲア通過が19時間08分。
200km付近の長い登り坂を走りきった直後から急に寒気を感じ、一気にペースダウン。
何とか早や歩きの状態で我慢するのですが、そのうち睡魔にも襲われかなり厳しい時間帯となりました。
雲一つ無い夜空に幾つもの流れ星を見つけ、その度に完走への思いを祈願しました。

210kmの辺りで一昨年優勝、昨年も2位の実力者、ドイツのルーカスに抜かれました。
このままズルズル順位を下げてしまうのかと弱気になりましたが、胸のゼッケン"212"に手を当て、自分が今まで培ってきた全てを残りの距離にぶつけてみようと気持ちを切り替え、痛む脚に喝を入れて再び走り出しました。

AS№68、6番目の主要なCP、222.5km地点の通過が23時間10分。
すでに前の二人とはかなりの差を付けられており、後ろを振り向いても誰も追って来る様子は窺えなかったのですが、実力のあるランナーがたくさん出場しているこのレースで少しでも油断をすれば必ず誰かに抜かれてしまうと承知していたので、自分自身にプレッシャーを与え続けてゴールを目指しました。

230km辺りで夜が白み出し、パトカーが私の背後に付きました。
私は何度も何度も後ろを振り返り、姿の見えない後続のランナーから必死で逃げました。
それほどまでにこの順位の確保には拘りを持ち続けました。

AS№74、243.5km地点の最後のエイドステーションで給水を摂りながら遠くまで後ろを確認しましたが、やはり誰も追って来る様子が窺えなかったのでここで初めて3位の確保を確信しました。
今まで張り詰めていた緊張の糸が緩み、引き摺るような足取りでラストランを楽しみました。

最後のコーナーを右に曲がり、Vロードに入ると私の両脇に地元の女子学生が付き、沿道の声援も徐々に増えました。
残り100mを切り、レオニダス像が見えてくると涙が溢れ出ました。
何度もガッツポーズを作り「よく頑張った」と、自分自身を称えました。
ゴール手前の階段で立ち止まり、ゆっくりとレオニダス像へと向かいその足許にキスをしてゴールイン。
タイムは25時間27分30秒でした。
大きな拍手に包まれ、たくさんの祝福を受けて本当に幸せな気分になりました。
ゴールの妖精から受け取った水を一気に飲み干し、スパルタ市長から記念のプレートを手渡されて握手。
他にもたくさんの方々と歓喜の握手を交わしました。
Thank You!」そして「ありがとうございました!」
深々と頭を下げたあと、走友の西野さんの肩を借りながら市内の病院行きの救急車へ乗り込みました。

病院で足の手当てを受けていると間もなく、4位に入った熊坂さんが病室にやって来ました。
彼との差は7分ほどしかなく、もしスパルタスロンがもう少し長く250kmあったら逆転されていたかもしれません。
しかし彼はそんな悔しさなどは微塵も見せずに、二人で完走を喜び称え合いました。
彼の目の輝きに、来年の表彰台は間違いないだろうというスケールの大きさを感じました。
ホテル「スパルタ・イン」にチェックインし、同室の二人と朝食を摂り、昼前から2時間ほど仮眠をとりました。
夕方からゴール地点へ向かい、次々に続くフィニッシャー達を拍手と掛け声で迎え入れました。
みんな本当にいい顔していますね。
スパルタスロンはもう今回で卒業しようと思っていましたが、この雰囲気に包まれているうちに何だかまた来年も来たくなっちゃいました。
午後8時よりスパルタの街中にある広場で表彰式が行われ、私も表彰台に上り記念の盾と花束を授与されました。
この一年、ここに上がる事を夢見ながら頑張ってきたので、本当に感無量でした。
今年は派手な打ち上げ花火もあり、ダンス・ショウの催しもありで、夜遅くまで会場は盛り上がっていたようでした(私は疲れていたので途中で会場を後にし、12時過ぎには就寝しました)