’99奥武蔵ウルトラマラソン

1999年8月1日

いまやウルトラランナー達にとって「真夏の祭典」と言っていいほどの大会に成長した奥武蔵ウルトラマラソン。今年も厳しい暑さとアップダウンしかない厳しいコースに挑戦するべく全国各地から300人を超えるランナーが参加した。
今年は水の全く無い鎌北湖。そこにあるスタート・ゴール地点に設置された大会本部では大会の受け付けやゼッケンの交付が前日から行われている。私は同じ走友会「巨人軍団」の仲間、斉藤さん、山田さん、沢田さん、応援の西野さん達と一緒に前日の午後に現地入りした。早速大会本部の前に行くとすでにたくさんのランナーが受付を済ませており、その中で久しぶりに会う面々やライバル達の顔を見つけては声を掛け合い、明日のレースでの健闘を誓い合った。ウルトラマラソンの大会に参加する時、この同窓会のような大会前の雰囲気も楽しみのひとつである。
毎年同じだが今回も大会本部から歩いて3分ほどの場所にある旅館「山水荘」に走友会の仲間と同室で泊まる事になった。部屋に入ると早速持参したビールや焼酎を取り出して宴会が始まってしまう。斉藤さんはいつもの事だが、西野さんも明日は応援だけというのをいい事にかなり飲み方のピッチも早い。同室の堀さん、下村さんの他にも他の部屋から柏倉さん、MICHIKOさん、黒沢さん、代田さん達も集まって、夕食を前に思わぬ盛会になってしまった。みんな明日は厳しいレースが待っているというのを知りながら、やはり仲間との再会はそれ以上に嬉しいのか、ついつい飲み過ぎてしまいそうだ。
風呂に入ってから今度は大宴会場での夕食。ここでもたくさんの知り合いの顔を見かける。するとやはり乾杯ということになってしまう。地元の銘酒「毛呂美酒」が飲酒欲をより一層そそる。食事後も「もうちょっと飲ろうよ」と誘われたが、さすがに私は明日の事も気になるのでそれには断り、21時には就寝した。中には23時過ぎまで飲んでいた人もいたようだ、私にはまだちょっとそこまでは真似できない。

大会当日、午前4時に私の隣で寝ていた山田さんに起こされた。昨日はアルコールのせいか寝つきも良かったので、すぐに目覚められた。窓の外を見るとすでに辺りは明るくなりはじめていて、雲一つ無い青空が広がっている。今日も暑くなりそうだ。顔を洗い歯を磨き、夕食時と同じ宴会場で朝食のおにぎり2個とバナナを食べた。部屋に戻ってレースの準備に取りかかる。ランパン、ランシャツに着替えて太腿から脹脛にかけて白いクリーム状の消炎剤を塗る。効き目があるのか無いのか定かではないが、気休めの意味も含めて大会の時にはいつもそうしている。ドリンク剤、胃薬、錠剤の栄養剤などをたて続けに飲む。何かよけいに胃がもたれてしまいそうだ。
スタート30分前。斉藤さん、山田さん、MICHIKOさん達と一緒に大会本部のあるスタート地点に行くとすでに準備体操のエアロビクスダンスが始まっていた。エアロのお姉さんの元気な声が響き渡る。私もその輪の中に入り込んで、リズムに合わせて硬い身体を曲げ伸ばししてほぐしてみた。体操が終わると大会実行委員長などの挨拶が行われる。皆、これがレース前の雰囲気かと思えるほど和んだ空気で、知人の顔を見つけては談笑を始めたり記念写真を撮り合ったりしている。そうこうしているうちにスタート5分前になり、スタートラインへの整列が始まった。皆、どちらかといえば前を譲り合っている様子だったが、私は一番先頭に並ばせてもらった。時計を見るともうスタート1分前。あら、もうこんな時間という感じで緊張などしている暇もなかった。
午前6時、スタートの合図と同時に各ランナーがそれぞれの思いを胸に走り始めた。大型バイクの先導車を追い越さんばかりにまずピンク色のウエアを着た選手が飛び出す。私も先頭から3~4番目の位置につけて鎌北湖からの下りを走った。しばらくすると私と同い年のライバル渡邊が私に追いついてきた。「まず挨拶しなくちゃと思って…」彼はスタート直後でまだ余裕の笑顔でそう言った。約2kmほどで坂を下りきり左へ折れるとまず最初の短い登り坂がある。私はどちらかといえば登りの方が得意なのでここで一度スピードを上げてみた。すると約300mほどの登りだが、この頂上付近で一旦トップの選手に並んだ。しかしここからしばらく続く下りで再び渡邊をはじめ登りで抜いたランナーに抜き返されてしまった。私の走り方というのはよほど下りでスピードに乗らないみたいだ。
坂を下りきりト字路を右折する。この角に今日は応援で来ていた同じ走友会の加藤伊助さんと堀切さん、そして「いのぶた会」会長の山本さん等がいた。「せきやー!3位以内で帰ってこいよー!」と、伊助さんがハッパをかける。私は「無理、無理~」と言いながら手を上げて彼等の声援に応えた。
約4km地点。昨年まで2年連続で優勝している小林さんが私に追い付いてきた。小林さんと並走するのは初めてだが、とても軽快そうにピッチを刻んでいた。最初の滝ノ入AS(エイド・ステーション)で給水を摂り、これを過ぎるとすぐに5kmの表示があった。22分06秒。まずまず思い通りのラップだ。今日の目標はトータルでキロ5分のペースで走る事。75kmで6時間15分になる。登りが多い区間では当然ペースが落ちるので、それほど厳しい坂の無いところはある程度の貯金が要求される。
5km地点を過ぎると徐々に登りの勾配がキツクなってくる。私はしばらく小林さんに付いて行こうと思い、彼のペースに合わせているうちに登り区間で前のランナーを次々に抜いて行った。小林さんは登りでもかなりのペースを維持していた。私にも少し気負いがあったのか、小林さんより前を走るようになり、この長い登りの頂上付近で単独のトップになった。しかし下りになるとすぐに追い付かれてしまう。
8.9km地点の桂木ASは2位で通過。その後も今度は長い下りが続くこの区間で次々に後続に抜かれてしまった。
坂を下りきり、13.9kmの滝ノ入ASに再び戻ってきた時は5位に後退していた。まだ7時を過ぎたばかりだがすでに暑くなってきたので、エイドではコップを2つ取り1つは給水、もう1つは頭からかぶった。ここから鎌北湖までは登り基調になる。やはりこの区間で2人抜いて18.5km地点の鎌北湖ASに3位で戻ってきた。応援の堀切さんがカメラを構えて「せっきやー!」と、まるでかつてのアイドルの親衛隊のような野太い声で私に声を掛けた。(もうすでに一杯飲んでるんじゃないの?)このASではバナナやオレンジなども戴いた。水もコップに3杯飲む。バケツの水をかぶりボランティアの方々の声援に見送られながらここを発った。
鎌北湖の側道を走り、奥武蔵グリーンラインの方へ進むとコース中で最も傾斜のキツイ登りが始まる。呼吸もあがり辛くなってくる。私は腕を振ってとにかく歩かないように心掛けた。
登りの途中21.1km地点の清流ASには準備体操のエアロのお姉さんがいて、今度はボランティアとして活躍していた。ここではメロンやオレンジなどを戴く。再び登り始めると後ろから来る車からクラクションを鳴らされた。視線を向けると今日はボランティアとして来ていた海宝さんだった。「いいペースだよ!」と声を掛けられた。他にも通る車は大会関係者の乗った車両が多くてその度に声援を送られた。
約22km付近から今度は長い下り坂が始まり、下りきった23.9km地点のユガテASで給水を摂った。ここで麦茶と思って飲んだものが甘い紅茶だった。ボランティアの方に「麦茶の方が良かったかしら?」と聞かれたが、私は冷たい飲み物だったら何でも良かったので、「気にしないで下さい」と答えた。ここから再び登りが始まる。そして25kmを過ぎたあたりで後ろから誰かが追い付いて来た。前年2位の川島さんだ。彼は私を追い抜くとそのままのペースを維持して先行して行った。私は自分のペースを守ろうと思い、無理に追うのはやめた。26.8km地点、黒山ASで一度川島さんに追い付いたが、その後もやはりその差は広がる一方だった。
29.3km地点、阿寺ASの手前で今度は前年の野辺山のチャンピオン・熊坂さんに追い抜かれた。彼はASでの休憩もほどほどに私より先行していった。この時点で5位に後退した訳だが、自分の調子はそんなに悪いとは思っていなかった。むしろ周りのランナーが私より一枚上手だと感じていたので、この先もまだ順位が下がる可能性はあると思っていた。私より先行した後、熊坂さんはそれほどペースを上げた訳じゃなかったので、しばらく彼の後ろ姿を追いかけながらの走りになった。
30kmの通過が2時間22分台。自分のペースは遅くない。やはり先行のランナーがただそれよりも速いだけだ。顔振峠への急で長い登り坂で熊坂さんの後ろ姿が再び大きく近づいてきたが、無理に追い越そうとは思わなかった。同時に前半から先行していた黒いウェアを着た他のランナーがかなりペースを落としていたので熊坂さん、私と相次いで彼を抜いて行った。顔振峠の茶屋の前で車で移動している伊助さん、堀切さん、山本さん等の応援を受ける。仲間の応援というのは本当に有り難いし、嬉しいものだ。
32.5km地点、見晴台ASまでの登りで熊坂さんとの差は100mも離れていなかったが、ASに着いた時すでに彼の姿はなかった。そして私は他のASと同じように数分間の休憩をとったので、ASを出た後、折り返しまで熊坂さんの姿を見る事はなかった。やはり、ASでの休憩時間もほどほどにしないと、かなりタイムに影響してくるみたいだ。
ここからしばらく一人旅が続く。34.8km地点の高山AS、ここの冷や奴が美味しかった。国立競技場の練習会でよくお会いする武石さんに声を掛けられた。私は手を挙げて応援に応えてエイドを後にした。35kmを過ぎてからの登りもかなり急でキツイ。これぐらいの距離を走ってきているとかなり足にも負担がかかっているので思うように前に進まない。ここが一番の踏ん張りどころと自分に言い聞かせて何とか歩かずに登りきった。
37.8km地点、飯盛ASには応援で来ていた西野さんがいた。「頑張れ!」と背中を叩かれてここを発った。昨年はこの付近で内腿に違和感を感じて暫く歩いてしまう場面もあったが、今年は疲れているものの足に特別な異常は認められなかったので走り続けられた。
40km付近で先行していた川島さんの姿が見えるようになってきた。川島さんも何か足に異常があったらしく、何度か立ち止まっては腿のあたりを摩ったりしていた。
41.2km刈場坂AS、ここまで来ると折り返しまでそれほど厳しい登りはないので、あと一息だという気力が蘇ってくる。42.195km地点の通過が3時間28分台。昨年より8分ほど速い。陽射しも大分強くなってきたが、案外湿度が低いようだったので、我慢できないほどの暑さではなかった。43kmあたりで川島さんが完全に立ち止まってしまった。そしてここで私と順位が入れ替わった。
43.6km大野AS、ここで給水を摂っていると大会実行委員長の館山さんの乗った車が道路の反対脇に停まった。「関家さん、調子良さそうだね!」と館山さんに声を掛けられた。私はただ一言「暑いよ~!」と手を挙げてここのエイドを後にした。
丸山駐車場を過ぎ、折り返しまであと1km程となったところでトップの小林さんとすれ違った。かなりのハイペース。しかし相変わらず淡々とした表情で軽快なピッチを刻んでいる。お互いに手を挙げて挨拶をした。折り返しの46.6km地点、丸山ASに入る寸前で2位の熊坂さんとすれ違った。思ったよりまだ私との差はついていなかった。
丸山AS到着が3時間52分30秒で3位。ここではおにぎりやオレンジ、バナナを補給した。ここにいた館山さんが「関家さん、ちゃんと水着のお姉ちゃんも用意しておきましたよ」と彼女のほうを指差した。「嬉しいですねぇ、ありがとうございます」と私は彼女の方へ歩み寄りじょうろで水をかけてもらうサービスを受けた。そして礼を言ってここのエイドを後にした。ここから今度は今まで来た道を鎌北湖までそっくりそのまま折り返す。折り返してすぐ、ちょうど私が熊坂さんとすれ違ったのと同じ地点で4位の川島さん、5位の井口さんと立て続けにすれ違った。井口さんはここの大会記録保持者。この差からして後半に抜かれる可能性は充分に高い。
以降、後続のランナーと次々とすれ違う。知り合いのランナーは勿論、初めてお会いするようなランナーともお互いに声を掛けて励まし合う。写真を撮ってくれる人もいれば、前のランナーと○分差だよとか教えてくれる人もいた。暑くて厳しいコースの大会だからこそ余計にランナー同志の連帯感も強くなるのかもしれない。そして折り返しのこの区間はアップダウンを繰り返しながらも下り基調のコースとなる。私の場合いつも下りで後続に抜かれてしまうので要注意の区間でもあるが、今年はこの下りでも後のことは考えずに飛ばしてみようなんて思っていた。
50kmの通過が4時間10分台。キロ5分ペースはかろうじて維持している。55km付近で同じ巨人軍団の親分・斉藤さんと同行していた山田さん、加村さんとすれ違い、派手な声援と手パッチンをもらった。そのすぐ後ろで走友のたかばやしさんとも手パッチンした。直後の55.4km地点、飯盛ASでは大阪から参加の佐田さんに声を掛けられた。私が休んでいる間、応援の西野さんが腰を揉んでくれたりした。ここのASではソーメンが美味かった。さてそろそろ出ようかという時に後ろから井口さんが追い付いて来た。ASは私が先に発ったが、すぐに井口さんに追い付かれてしまう。追い抜かれる際に「あと少し、頑張りましょう!」と声を掛けられた。井口さんは私から返事をする間もないほどのスピードでそのまま先行して行った。なんとか彼に付いて行こうとも思ったが、スピードが全然違う。私はすぐに気持ちを切り替えて自分のペースを維持しようと思った。
この大会に出るのは今年で3回目だが、今年が一番天気が良いみたいで、ふと目を横にやると、遠くの山並みの稜線がくっきりと見えた。
58.4km地点、高山ASに着いた時に前述の武石さんから井口さんとの差が2分ある事を伝えられる。井口さんは下りに相当自信があるみたいだ。もう私は前を追うなんて気持ちは全く持っていなかった。
60.7km地点、見晴台ASに4たび、伊助さんの応援グループがいた。ちょうど私の方も疲れがピークに達していたからか、「井口さん速いよ。僕、下りが弱いからなぁ…」と、彼らに弱音を吐いてみせた。伊助さんから「今4分差くらいかな。自分のペースを守って行けばまだ追い付く可能性もあるから」と、激励を受ける。私は愚痴をこぼした自分を少し後悔して、ASを出る時には「それじゃぁ、行ってきま~す」と、手を上げてカラ元気を見せてみた。
顔振峠の前を過ぎ、下り坂を下りきるとUの字カーブの急な所があり、100mほど行くと63.9km地点の阿寺ASに到着した。前半からそうだったが、エイドの度に氷入りの水を貰い、飲み終わったコップの中の氷を帽子の中に入れるようにしていた。これだけでも随分暑さから解放されるような気がする。そしてバケツの水も必ず頭からかぶるようにしていた。ASの暑さに対する準備、対応などはこの大会ならではのもので、ランナーにとっては本当にありがたい。
このASから次のASまでの約2.5km区間は登り基調になる。しばらくの間、下りばかりだったので、足にはそうとう負担がかかっているみたいだ。なかなか力強く坂を登れるような走りはできない。しかし65kmを過ぎ、ゴールまであと10kmを切ると゛もうひと頑張り"と再び気合が入る。その気合がカラ回りしたのか、66.4km地点、黒山ASまであと50mというところで左足の太腿裏側の筋肉が突然攣って、走れなくなってしまった。その場で立ち止まってガードレールの方へ歩み寄り、ゆっくりと屈伸運動をして、ツッパった筋肉をほぐしてみた。ASの方が心配して私のところまで歩み寄ってきて、「大丈夫ですか?エイドまでもう少しだけど、歩けますか?」と声を掛けてきた。私はまだ張りの残る左足を引き摺りながら「とりあえずエイドまで歩いてみます」と、返事した。ASに着くとボランティアの人がコールド・スプレーを取り出して「かけましょうか?」と聞いてきたが、それには断った。冷すよりもむしろ摩るなどして温めてほぐした方が有効に思えたからだ。水を戴きながらボランティアの人にこの先のコースについて聞いてみた。ここから次のエイドまでの約3km区間はほとんど下りだという。「ゴールまでもう10kmもありませんから、頑張ってください」と、声を掛けられた。そんな会話をしているうちに左足の方も少し落ちついてきたようなので、恐る恐る走り出してエイドを後にした。
走り出して最初のうちはまた痛み出したりはしないか?と少々不安で、どうしても慎重になってしまったが、下りを利用して徐々にスピードを上げても再び痛み出す事はなかったので、そのうちそんなアクシデントがあった事すら忘れてしまった。
69.3km地点、ユガテASにはよく練習会などでお会いする重森さんがボランティアをやっていた。私が到着すると「頑張ってるねぇ」と、目を細めて迎え入れてくれた。残りのコースについて質問しながら給水を摂る。他のボランティアの方から「ビールもありますけど、どうします?」などと聞かれたが、「いや、ゴールまで我慢します」と、断った。このエイドを出るといきなり最後の難所、約2kmの長くて急な登りが始まる。本当にここが最後の踏ん張りどころ。私は「絶対に歩かない」という覚悟を決めて登り始めた。
登りの途中に70kmの表示があった。5時間53分38秒で通過。ゴールのタイムを計算してみるが、アップダウンを考えると予測が難しい。とりあえず昨年の記録、6時間29分台は切れそうだ。この長い登りを歩かないで行こうと思ったが、スピード自体は大して気にしていなかった。その為、呼吸も上がらず(上げず)に走る事が出来たので、思っていたほど辛くない。
ここの登りの頂上を過ぎるとあとはゴールまで下りだけだ。下り始めてすぐ72.1km地点、清流ASでは水を一杯だけもらい、先を急いだ。ここからの下りは斜度もかなりキツい。しかしここでは後の事は考えずに強気で攻めて行こうと思った。よく仲間から指摘される私の走る時の靴音の大きさが更にボリュームを上げて辺りに響き渡る。これだけのスピードで下りを走るのは初めてかもしれない。
長い下りを終えて鎌北湖の側道に差し掛かるとゴールまでもう1kmもない。時計を見ると70km地点で計算していたゴールタイムより遥かに速くゴール出来そうだった。あとは1秒でも速く、そこへ辿り着きたい。歯を食いしばって腕を振る。ゴール地点の鎌北湖入り口に差し掛かるとスタッフの人が私のゼッケンを確認してトランシーバーでゴール地点に連絡を入れた。応援の方々の拍手の中を走り抜ける。「あぁ、帰ってきたんだな…」ゴールテープが見えてくると同時に、アナウンスの声が聞こえてきた。私の名前を紹介してくれている。私はラストスパートをかけて両手を上げて、笑顔のままでゴールテープを切った。
笑顔のゴール! ゴールの向こうで大会実行委員長の館山さんが待っていて下さり、握手を交わした。「調子良く走れたみたいだね」と笑顔で話し掛けられた。私は「暑かったァ。でも皆さんのお陰で良いタイムで走れました」と、礼を言った。
結果は6時間15分50秒。昨年より約14分速いゴール。そして4位だった。ほぼ目標通りのタイムで走れた事と、そして苦手な下り坂でも攻めて走りきれた事がとても嬉しい。ゴール地点で売っていた1本100円のビールは暑さと汗と嬉しさで美味しさも格別なものだった。この美味しい1本のビールの為に、来年もきっとここに帰って来るんだろうなぁと思う。

厳しさの中からこそ得られる達成感。そしてそれを心から支えようとする人達の思い。
奥武蔵は日常の生活の中で我々が忘れかけていた「生きる事=挑戦する事」の意味を教えてくれる場所なのかもしれない。 

4位の表彰。 入賞者達と。