「 会津嶺」2021年12月号・寄稿

 

「ウルトラマラソン」開催へのチャレンジ

文:関家良一

 

私が初めて柳津町を訪れたのは20189月でした。

それまで会津北部の喜多方には畏友堀口一彦さんを訪ねて何度も足を運んだ事がありましたが、その堀口さんから紹介されて、滝のやの「花ホテル講演会」講師としての初訪でした。

家族を帯同しての小旅行でもあったのですが、日中はうぐい生息地の魚渕や福満虚空蔵尊圓蔵寺などを散策し、門前町の風情を楽しみました。

ホテルのロビーでは滝のや主人の塩田恵介さんから会津の銘酒・榮川を御馳走になり、講演会の打ち合わせの傍ら、柳津町のお話を色々と聞かせて頂きました。

マラソンランナーの習性でしょうか、私は何の気なしに「柳津町にマラソン大会は無いのですか?」とお聞きしました。すると塩田さんは1枚のパンフレットを持って来て、私に見せてくれました。そこには「赤べこ発祥の地会津柳津フルマラソン」と書かれています。

「実は数年前にフルマラソンの大会を開催した事があったのですが、諸々の事情で第3回大会で終わってしまいました」と、少し残念そうな表情で塩田さんは説明しました。

私はせっかく立ち上げた大会が無くなるのは勿体ないなぁと思いましたが、大会を運営し、維持していく事の大変さを複数の主宰者から伺った事があるので、仕方ない事だと納得しました。

榮川の口当たりがとても良くて杯が進み、私の舌も滑らかになってきたところで、塩田さんにこう切り出しました。

「ウルトラマラソンならできるんじゃないですか?」

私は24時間走の世界大会で4回優勝しました。その24時間走のベスト記録は274㎞です。つまり24時間内にフルマラソンを6回とハーフマラソン1回ぶんの距離を一気に走った計算になります。フルマラソンの大会を維持していくのが大変だと話しているのに、この人は何を言い出すのだろう?そう思われたかもしれませんが、この24時間走は同じところをグルグル周回して行う競技なので、会場が一つあれば良いわけです。

例えば世界大会で初優勝した2004年チェコ大会は1周の距離が1.3㎞でしたし、2回目優勝の2006年台北大会、4回目優勝の2008年ソウル大会は共に1㎞弱でした。何なら48時間走の世界記録が輩出されたフランス・シュルジェールの大会は1周約300mの土のトラックで開催され、私は2010年、そこで合計1350周=407㎞走り、48時間走の自己記録を更新しました。

塩田さんは私の話に大変興味を持たれた様子でしたが、その時はまだ雲を掴むような話でしかなかったのだろうと推察します。

 

そして2回目に柳津町を訪れたのが20203月。

この時は走友であり、私同様ウルトラマラソンランナーの大滝雅之さんが花ホテル講演会でお話されるとの事だったので、末席を汚しました。

この時は堀口さんも一緒でしたが、講演会の翌日に塩田さんから「3人に案内したい所がある」との事で、車で「つきみが丘町民センター」に連れて行かれました。

そしてそこから見下ろす「道の駅 清柳苑」や「斎藤清美術館」そして柳津町役場などのある一帯を指さして「あそこで24時間走の大会ができないかと考えているんです」と、胸の内を明かしてくれました。

私はとても感激しました。もちろん、見下ろす風景も素晴らしいですが、初めてお会いした時から1年半、ずっと思いを温めて来られた塩田さんの気持ちがとても嬉しかったのです。

その後、実際に現地に行き、所々車を降りて歩きながら、視察しました。

3人とも「これはいい。絶対に良い大会になる。是非実現させよう!」と興奮気味に話したのを覚えています。

 

大会開催の前にまずはコースを試走しましょうという話になり、その3か月後の6月に仲間を誘って「試走会」を行う計画を進めました。

しかし残念ながらコロナ禍の影響で開催は困難な状況になり、延期を余儀なくされました。

ご承知の通りその後もコロナ禍は猛威を振るい、全国各地で開催予定だったマラソン大会が軒並み中止や延期が相次ぐ中で、この試走会の開催も宙に浮いたままに…。

2021年に入り、夏を過ぎた辺りからやっと改善の兆しが見え始め、そして10月に入ると全国各地に発出されていた緊急事態宣言やまん延防止措置が全て解除になり、晴れて1016日午後5時スタート翌朝5時終了の12時間試走会が開催される運びになりました。

今回は道の駅清柳苑の入り口付近にあるバイク駐車場を起点とし、只見川沿いの土手を左折。国道252号線を左折し道の駅に戻る、11293mのコースを使用させて頂く事に。

メンバーの選択は私に一任されたのですが、このコースでの本大会開催を視野に、この試走会後に色々と意見やアドバイスを賜りたいと思っていたので、ある程度経験や実績のある方々に声を掛け、ランナーは私と大滝さんを含めて9名。サポーターは堀口さんを含めて2名が集まり、その他、塩田さんを含む地元の方々45名がボランティアとして交代でエイドのサポートを手伝ってくれました。

事前に塩田さんと何度も連絡を取り合い、起点に設置するエイドの飲食物についてリクエストを伝えていましたが、実際に設営されたエイドは私の想像を遥かに超える素晴らしいもので、正に至れり尽くせり。レース中に飲みたい物、食べたい物が全てそこにあるといった感じで、感謝の気持ちでいっぱいになりました。特に地元名物の粟饅頭が大人気で、今が旬の巨峰、マスカット、手作りのおにぎりなどでお腹が満たされ、エネルギー切れを起こす事なく、皆が快走できました。

夜間の12時間走ですが、私自身一度も眠くならなかったし、他の参加者も長時間休憩する人は皆無でしたが、これはやはりエイドの皆さんの協力無しには語れません。

結果トップが121㎞走り、6人が100㎞を超えるという、試走会とは思えない好成績が得られました。

よく「同じところをグルグル走っても景色が変わらないしつまらないのでは?」という質問を受けますが、時間走の良いところはトップから最終ランナーまで、そしてボランティアやサポーター、応援を含め、全ての人がそこに居る。そんな一体感を感じられる事がこの競技の魅力であり、楽しさなのです。ワンウェイのロードレースは一人きりになる時間が多く、夜は景色も見えませんからね。

試走会終了後、参加者からは「コースも良いし、雰囲気がとても良かった。また是非走りに来たい」と、絶賛する声がほとんどでした。

地元の方々と触れ合う事のできる「本走会」が開催される事を切に願っています。

 

 スタート前の集合写真