2001年さくら道国際ネイチャーラン完走記
     ~250km22時間45分の真実~

平成13421~22

 

20世紀最後のレースとなった昨年のスパルタスロン(ギリシャ・アテネ~スパルタ間245.3km)は本人や周囲の人達から「完走は間違い無し。あとはどこまで記録を伸ばせるか」という期待の中で臨んだレースだったが、前半のオーバーペースが祟り、160km手前で敢え無くリタイヤという惨澹たる結果に終わってしまった。

マラソンレースは記録云々を問う以前にまずは完走しなければ話にもならない。

今思えばそのレースのスタート地点に立つにあたり、100kmマラソンを初めて走り抜いた頃の感動や、走る事に対する直向きさ、謙虚な姿勢を失っていて、完走は間違い無いだろうという何の根拠も無いちっぽけな安心感から「ただ何となく」走ってしまった反省点の多い「失敗レース」であった。

ウルトラマラソンに不可欠な「絶対に完走するんだ!」という思いや精神的な気持ちの昂揚を最後まで自分自身の中につくり出す事ができなかった結果だと思う。

スパルタスロンの借りはネイチャーランで…

昨年の11月に今回のネイチャーランへの出場が決まった瞬間からその思いを胸に、練習にもより一層実が入るようになった。

12月からはそれまで300km程度だった月間走行距離を500kmまで伸ばし、レース前月の3月までそれを続けた。

2月の初めには「別府大分毎日マラソン(フル)」、3月初めには台湾での24時間走レース「東呉国際ウルトラマラソン」というビッグレースも控えていたが、それらのレースに向けての練習というより、気持ちの中ではかなり前からネイチャーラン完走へ向けてのイメージトレーニングが始まっていた。

ところがあまり記録を期待していなかった別大マラソンで自己ベストを更新する事ができ(2時間4034)、東呉国際ウルトラマラソンに到っては246kmという思ってもみなかった距離を踏襲する事ができ優勝。

「アジアチャンピオン」という柄に似合わない、身に余る称号まで戴いた。

21世紀の幕開けは自分でも信じられないような好調な滑り出しで体調もずっと良かった。

しかしあくまでも目標はネイチャーランでの快走だ。

今回は過去に無い練習量と熱くなるほどの気持ちの昂ぶりを胸に4月のレース本番を迎える事が出来たと思う。

 

420日。JR新横浜駅1123分発の新幹線ひかり号に乗り名古屋へ向けて出発。

自由席に乗り込んだのだが何かの因縁だろうか、たまたま東京から先に乗り込んでいた今回のネイチャーランの参加者で昨年のスパルタスロンの優勝者でもある大滝雅之さんの隣の席が空いていた。

彼の横に座らせてもらい、名古屋までの約1時間半の道中ずっとスパルタスロンやネイチャーランの話で盛り上がった。

大滝さんとこれだけ長い間お話するのはもちろん初めてだったが、あまり物怖じするタイプではなさそうで、明日のレースに対する緊張感など全く伝わってこない本当に爽やかな印象を受けた。

名古屋駅からタクシーで開会式の行われるKKRホテルへ。

会場ではすでにたくさんの参加者やスタッフ、ボランティアが集まっており、久しぶりにお会いする顔を見つけては声を掛け合い、再会を喜び合った。

開会式では昨年のこの大会の優勝者熊坂明彦さんの隣に座る事になり、オリエンテーションの間じゅう色々とお話する事が出来た。

熊坂さんのほうは連覇へ向けてのプレッシャーからか、話していてどことなく緊張しているような雰囲気が伝わってきた。

スタッフや協賛関係の方々の挨拶、選手の紹介などのプログラムがひと通り終わり、ロビーの方へ移動。

知り合いとの話もなかなか尽きず、あっという間に時間が流れていくようだった。

会場に到着してからこのKKRホテルで部屋の予約をしようと思っていたのだが、フロントの方にすでに満室であると断られた為どうしようかと案じていると、東京から応援、尿の検査などの為に訪れていた滋恵医大の太田先生と学芸大の渡辺先生の宿泊するビジネスホテルを本人達から薦められ、会場から少し離れた繁華街の中心地にあるその場所へと向かった。

夕食はビジネスホテルの下の階にある居酒屋風の店で、太田先生、渡辺先生の他に、参加者の武石さん、前田さん、私の5人で焼きしゃぶを囲んでビールで乾杯。

明日の健闘を誓い合った。

近くのコンビニで明日の朝食を買い、21時頃にはベッドに潜り込んだ。

夕食に飲んだビールが効いたのか、寝つきも良かった。

 

421日の朝、窓の無いビジネスホテルの真っ暗な部屋のベッドの中でウトウトとしていた。

セットしておいたはずの目覚まし時計もまだ鳴っていない。

ちょっと早起きしてしまったのだろうか。

時間ギリギリまで寝ていたかったのにさすがに緊張しているのかな?

しかし目覚まし時計の時刻を確認した瞬間、ウツツの状態からハッと目が覚めた。AM5:25

4時ちょうどにセットしておいたのに完全な朝寝坊だ。

「やっべ~!」独り言を呟きながら前夜に用意しておいたウエアに着替える。

当日の天気を確認してからランパンにするかロングタイツにするか決めようと思っていたのだが、もはや迷っている時間など無い。

急いで昨年と同じ恰好のロングタイツに長袖のTシャツ、その上にランシャツを着込んで顔も洗わずに外へ飛び出した。

515分に渡辺先生とホテル前で待ち合わせをしていたのだが、もう先生の姿はなく、代わりに前夜「少し遅れてから行く」と言っていた太田先生ともう一人研究生の方がいたので、タクシーで一緒にスタート地点の名古屋城に向かう事になった。

6時の最初の組のスタートまであと20分。

しかし何とか私のスタート時刻6:15には充分間に合いそうだ。

前夜コンビニで買っておいたおにぎりを急いで腹の中へ詰め込む。

「渡辺先生も一人で行かないで起こしてくれればいいのになぁ…」と呟くと太田先生が「ちょっと確認してみよう」と渡辺先生の携帯へ電話をかけた。

すると何と渡辺先生も今しがた起きたところで、まだホテルの部屋にいますだって!?

前夜はけっこう生ビールを飲んでいたが、自分の事を棚に上げながら半ば呆れてしまった。

 

最初の組のスタートまであと10分というところで無事に名古屋城へ到着。

金沢行きの荷物を預け、おにぎりを食べながらスタート地点へ向かった。

1000本目の佐藤桜がある深井丸広場のスタート地点にはランナーやスタッフ、新聞報道関係者や応援の人たちがすでに集まっており、記念撮影したり談笑を交わしたりしながら直前に迫ったスタートの瞬間を待っていた。

私は寝起き直後のせいか全く緊張感も無く、相変わらずおにぎりを詰め込みながらその輪の中へ溶け込んだ。

一緒の組スタートの沖山裕子さん(2000年スパルタスロンの女子優勝者)や大滝さんらと談笑を交わす。

海宝さんや宮内もみさんらも応援に駆けつけてくれて嬉しかった。

デザートに買っておいたプリンを食べ終えるとやっと「やるぞー!」という気持ちになってきた。

 

6時ちょうどになり第一組目のランナー達がスタートを切る。

みんないい笑顔をしている。

ランナーと応援が一体となってこれからの長旅の門出を祝うかのように拍手と歓声が沸き上がった。

以降、3分おきに同様のスタートが繰り返される。

612分、第5組目のスタートが終わるといよいよ我々の組が招集された。

2000年スパルタスロンの男女の優勝者、大滝さんに沖山裕子さん、スパルタスロン完走の船田さん、宇都宮さん、中山さん、佐川さん、吉越夫妻、ドイツのハイケさん、そして前年チャンピオンの熊坂さんと錚々たるメンバーだ。

大会運営副委員長の大郷さんが私のランシャツを見て「巨人軍のユニフォームじゃ(中日ドラゴンズの本拠地でもある)名古屋市内は走れないよ」と冗談言って周囲を笑わせた。

私は咄嗟にゴムバンドで作っておいた腰の位置にあったゼッケンを胸まで上げて「巨人軍団」の文字を隠しておどけてみせた。

 

615分、いよいよ我々の組がスタート。全79名の選手のスタートが完了した。

今回の私のテーマは前半いかにマイペースを守ってスピードを抑えられるかという事。

時計は持っているが、前半は通過タイムやラップなどは気にせずに今現在の自分の体調と対話しながら無理のないペースで走ろうと思っていた。

それとやはり同じ組で優勝候補にも挙げられていた大滝さんや熊坂さんより前に出ないように、また離され過ぎないように行こうとも思っていた。

最大でも30分くらいの差で彼らに付いて行ければ終盤にひょっとしたらというチャンスも生まれてくるのではないかという気持ちがあった。

あくまでも勝負は200kmを過ぎ、五箇山を越えてからだと思っていた。

中山さん、佐川さん、沖山裕子さんが積極的に前に出る。

大滝さん、熊坂さんはややスローペース気味のスタート。

私はそれより更に遅いペースでのスタートとなった。

名古屋城を出て国道22号線を右に折れる頃、前を走っていたはずの熊坂さんの姿が突然と消えた。

しばらくしてから後ろを振り向くと彼の姿があった。

「トイレに行ってました」苦笑しながらそう言うと彼は軽やかに私を抜いて前に出て行った。

 

5.7km地点、最初のエイド通過が3238秒。

昨年の通過よりも2分以上遅いペースだが、身体の調子はまずまずで落ち着いた入りと言ってよいだろう。

昨年はこの時点ですでにかなりの雨に降られていたが、今年は曇天で暑くもなく寒くもなくでちょうど良い。

スタート直後、佐川さんが「天気予報では降っても午前中だけ」と言っていたので、うまくすれば今年はゴールまで雨を避けられるかもしれないと思った。

 

11km地点、豊田合成北のエイド通過が1時間ちょうど。

走っていると長袖のTシャツではむしろ暑く感じるくらいだ。

私は袖をまくりながら「汗をかかない程度のゆっくりペース」を心掛けた。

ウェーブスタートで前の組だった選手達に次々に追い付いていく。

一緒の組だった中山さん、沖山裕子さんはすでに私の視界から消えてしまうほど先行して行ってしまった。

大滝さんも調子が出てきたようで、カーブなどでは姿を見失ってしまうくらいの差になっていたが、熊坂さんとは100mほどの差を保っていた。

 

15km地点、名神高速高架下のエイド通過が1時間23分。

私の数メートル後ろを付かず離れずの間隔で走っている人がいる。

ベテランランナーの宇都宮さんだ。

昨年のスパルタスロンでも30時間を切る好タイムで完走された実力者だが、足の運びや息遣いに無理がなくさすがに落ち着いた滑り出しのようだ。

前の組の選手に追い付く度に「あれ、今日はゆっくりだね」と、声を掛けられた。

一宮裁判所の前には横断幕が掲げられ応援の方々も多く見受けられた。

声援に手を挙げて応えながら通過する。

裁判所前の交差点で信号待ちをしていると道路の反対側でビデオカメラを構えている木村さんを見つけた。

木村さんはさくら道270kmウルトラマラソンのボランティアなどをしながら、毎年このさくら道に何らかの形で関わって下さる、桜とさくら道を心から愛している方で、インターネットなどでも私とメールのやりとりなどを交わしていた。

道路を挟んで手を挙げて挨拶すると木村さんも手を振り返してくれた。

木村さんの前を通り過ぎる時「また一週間後、さくら道(270kmウルトラマラソン)の時にサポートで来ますから宜しく」と、ほんの短い挨拶だけで再会を惜しむように先を急いだ。

一宮市外を抜け、文京の交差点を左折すると初出場で女性では最年少の河辺さんに追い付いた。

「いいペースだね」と声を掛けると「頑張って下さい」と言われたので手を挙げて私の方が先行した。

続いて鈴木隆子さん、田中克祐くんの「親子」に追い付く。

田中君は嬉しそうに「今日はゆっくりですね」と白い歯を見せた。

 

20km地点、音羽公園のエイド通過が1時間47分。

知らず知らずのうち少しずつペースが上がってきてしまっているみたいだが、この頃から腰の辺りに若干の張りを覚えた。

「まだまだ無理をするところじゃない。今からレースをしていては後半もたないぞ」と自分に言い聞かせながらペースが上がり過ぎないように注意した。

弱い雨が降り出したがほんの一瞬のシャワーのような感じでほどなく降り止んだ。

今伊勢跨線橋を渡り終える頃、前を走っていた外国人選手に追い付きかけたが、彼は交差点などの信号を通過するタイミングがうまく、私の信号待ちの度に再びどんどん離されて行ってしまった。

 

25.5km地点、中越交差点大垣共立銀行前のエイド通過が2時間15分。

先行していた北川さんに追い付いた。

エイドを出て数100mの交差点でまたも長い信号待ちに合う。

その間に反対車線をうまく信号待ちをかわすように通り抜けた八重樫さんに先行されてしまった。

スタートから約40kmの間、岐阜市内を抜けるまではこのような信号待ちで度々足止めを食う事は最初から分かっていたが、今回は信号の手前から加速してみたりとか無駄な労力を使う事は極力避けようと思っていた。

実はレース前にあるヒントを得ていた。

3月中旬に東京で行われた24時間レースでは周回チェックの不手際から度々ランナーが足止めを食ってペースを乱されたという話を聞いたのだが、果たしてその結果は意外にも好記録の続出であったそうだ。

調子の良い時に自分のペースでどんどん突っ込んでしまうと後半にそのツケがまわって来てしまう恐れがある。

むしろ序盤は半強制的にでも足止めを余儀なくされた方が身体や脚には優しいのではないかと考えていた。

木曽川橋を渡り終えると再び信号待ちをしていた八重樫さんに追い付いた。

地元の走友会の方々が横断幕を掲げて声援を送って下さった。

笠松ペットショップの交差点を右折。

前を行く熊坂さんとの差は依然として100mほど。

大滝さんの姿はすでに全く見えなくなっていた。

 

30.0km地点、岐大バイパス高架下のエイド通過が2時間42分。

栄養ドリンクをもらい、オレンジをパクついて先を急いだ。

10mほどで先行していた岡村さんに追い付く。

信号待ちでしばらく会話した後、お互いに頑張りましょうと声を掛け合って別れた。

「さくら道270kmウルトラマラソン」を含めて今回で4回目となる名金線の旅路だが、過去3回はいずれもこの先にある2つの踏切に長い足止めを食っていたが今回は初めて電車の通過を待つ事もなく通り過ぎる事ができた。

岐阜信金の交差点を右折し、しばらく行くと先行していた内山さんに追い付いた。

レース前から不調だと伝えられていたが「今のところいいみたい」と、ニコやかに話してくれた。

小さな交差点の赤信号で止まろうとすると青信号に変わった側の車からクラクションを鳴らされ、運転手が手を横に仰いで「行け」のサインを出してくれた。

私は頭を下げながら赤信号の交差点を横切った。

たくさんの方がネイチャーランを応援してくれているんだなぁと思うと嬉しくなった。

 

35.1km地点、東興町国道156号高架下のエイド通過が3時間07分。

エイドでコーラと一口チョコを貰って先を急いだ。

この辺りでは沿道の住民の方々が外に出て中日新聞の旗を振ってくれたり、声援を送られたりで皆さんから元気を戴いた。

信号待ちが少なくなるにつれてだんだんペースも上がってきてしまうのだが、それと同時に腰や太腿の裏側辺りの張りが酷くなってくるような気がした。

まだまだ序盤からこんな調子では先が思いやられる。

しかし先が長い分、身体が復活してくるチャンスはいくらでもある事を体験的に分かっていたので変に悲観的な気持ちに落ち込むような事もなかった。

名鉄線・日野橋駅の前には今年もたくさんの地元住民からの声援を受けた。

中日ドラゴンズの青いメガホンを勢いよく叩いていたおばさんがやけに目立つ。

私が通り過ぎると誰かが「巨人軍団だってよ」と苦笑しながら呟いた。

岩田坂駅を通過する頃、先行していた今井さんに追い付いた。

ひざの具合が悪いらしく、手厚く巻かれていたサポーターが痛々しい。

「騙し騙し行きますよ」と微笑んでいた。

 

41.1km地点、トヨペット岩田営業所の通過が3時間35分。

比較的大きなエイドなので座り込んで長い休憩を摂る人が多かったが、私はコーラを一杯だけ戴いて先を急いだ。

エイドを出てすぐ先行していた川口さんと藤田さんに追い付いた。

川口さんとは'97年のザット・ダム・ラン100kmマラソン(ニュージーランド)でレース終盤に抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り広げた仲だ。
「もうとても追い付けない存在になっちゃったなぁ~」と感慨深げに言葉を掛けて下さった。

芥見を抜け、棚橋工業の前で入江さんに追い付いた。

入江さんは昨年のこの大会直前に膝を故障し出場を断念した経緯があるので今年のレースに賭ける意気込みは相当なものがあるのだろう。

「調子よさそうですね」と声を掛けると「ちょっとペースが速すぎて心配なんだけど・・・」と屈託の無い笑顔でちょっと隙間の空いた白い歯を見せた。

 

45.3km地点、関信用金庫山田支店のエイド通過が3時間58分。

エイドを出るとすぐ先行していた門さんに追い付いた。

私のペースが遅いのを心配したのか「あれ、どうしたの?大丈夫?」と、声を掛けてくれた。

「一応これでも予定通りなんですけど」と、返事したが「ならええけど・・・」と、まだ何か心配そうな表情だった。

もしかすると私の走り方に腰をかばっているような変なクセでも出ているのかもしれないと思った。

本当は「調子が出ない!」とでも訴えたいところだったが、そんな事を誰かに打ち明けても何の意味も無い事は充分に承知していた。

「がんばって!」の声に後押しされるように先行するとすぐ、沖山裕子さんに追い付いた。

「先週、フルマラソンを走ったからその筋肉痛が少し残っているみたい・・・」と、話し掛けられた。

「でも100kmを過ぎてその疲れが上手く抜けてくれれば後半いいかもしれませんね」

「うん。それを期待しているんだけどね・・・」

裕子さんも私と同じような状況のようだ。

そして私も100km過ぎまで何とか頑張れればと思いながら我慢の走りが続いていた。

裕子さんから「大滝さんも熊坂さんもまだそんなに離れていないから」と、聞かされた。

「彼らを追い抜かないようなペースで暫く行ってみます」と、答えてそのまま手を振りながら私の方が先行して行った。

小屋名道標を右へ折れると再び名鉄線沿いを走るようになる。

ランパン・ランシャツ姿の林さんに追い付いたので「今年は(去年同様の)その格好で正解でしたね」と、声を掛けると、私の長袖・ロングタイツ姿を見て「良いでしょう~」と、得意気な表情で微笑った。

ここまでずっと陽が射す事もなかったので日焼けする心配も無く、走るには絶好のコンディションと言える状況だ。

「頑張って」という声に送られながら私が先行するようになった。

 

50km地点、ムトウ新聞店のエイド到着が4時間21分。

ここまではレース前に私の思い描いていたペースよりも弱冠速いくらいだ。

フル百回楽走会の名物ランナー、吉藤さんが出迎えてくれた。

このエイドに来るまでまともな食事は一切摂っていなかったが、ここで初めてソウメンを戴いた。

カップに1/3ほどで一口で啜れて美味しい。

ウルトラマラソンのレース中に出される食物としては最高だなと思い、もてなしに感謝した。

このエイドのスペシャルにウィンドブレーカーと手袋を預けておいたのだが、何も取らずに先を急いだ。

エイドを出てすぐの交差点を左折。

相変わらず熊坂さんの姿が100mほど先に見える。

私に比べて彼のエイドでの休憩時間が長いようなので、エイドの度に追い付き、走り出すとまた離されるという展開の繰り返しがしばらく続いた。

やはりスピード自体は彼の方があるようだ。

美濃市が近づくにつれ、熊坂さんとの差が徐々に広がって行くのが分かる。

 

54.3km地点、東海北陸自動車道高架下のエイド通過が4時間48分。

やはり熊坂さんがエイドを出たばかりのようで、数10m前方に彼の姿が見える。

私は休憩もそこそこにエイドを後に。

美濃市役所を過ぎ、泉町の交差点を左折。しばらく行くと長良川を左手に見ながらのコースになる。

ここまで来ると市街地を抜けて景色がどことなく田舎の情景に変わり、何となく気持ちも落ち着いてくる。

交通量もそれほど多くなく、たまに追い越して行く車の中から「ガンバレー!」と、声を掛けられたりした。

 

60.2km地点、みちくさ館のエイド通過が5時間13分。

今年は桜の開花も早かったようで、昨年満開に咲いていたこの付近の桜も今年はすっかり終わってしまっていた。

エイドでバナナを戴きながら通過順位を確認すると私はまだ12番目だった。

今年は天候、気温など走りやすい条件に恵まれたせいか全体的にペースが速いようだ。

ボランティアの方に促され、道路を横断しながらエイドを後にする。

熊坂さんとの差は依然として100mほどの"スープの冷めない距離"を保っていた。

立花トンネルを抜け、今度は長良川を右手に見るようになるとしばらく直線が続き1km以上先まで見渡せるようになる。

熊坂さんの前にもランナーが2人ほどいるのが確認できた。

よく目を凝らしてみると大滝さんと郷さんらしい事がわかる。

この地域の名物だった洲原小学校前の鯉のぼりの大群が今年はなくて寂しい。

何事かあったのだろうかと心配してしまった(実は何事もなく一週間後のさくら道270kmの時には色とりどりの鮮やかな鯉のぼりの大群が見られた)

小学校からの下校途中の生徒達に「ガンバッテ!」と、声を掛けられる。

洲原トンネルを抜け、左回りの大きなカーブを曲がり、美並の道の駅が見えてくると沿道に数名のカメラマンがおり、拍手とフラッシュに迎えられながらエイドに到着した。

 

67.4km地点、道の駅美並のエイド通過が5時間49分。

私が到着する少し前に熊坂さんが。そして後を追うように大滝さんと郷さんが長めの休憩からエイドを出て行った。

私はコーラを一杯だけ戴き、エイドを後に。

大滝さんは何かトラブルでもあったのだろうか。

後ろから見ていて、走り方にどこかをかばっているようなぎこちなさを感じる。

郷さんは大滝さんとしばらく並走した後に、熊坂さんに追いつくべくスピードを上げて先行していった。

私と大滝さんとの差が徐々に近付いて行く。

そして次のエイドの少し手前で彼に追い付き、ほぼ同時にエイドに到着した。

 

72.3km地点、美並郵便局のエイド通過が6時間16分。

「こんなところで追い付くなんて思ってもみませんでした」と、大滝さんに声を掛けた。

大滝さんは「どうも調子が良くなくって…」と、苦笑いだった。

大滝さんの後を追うように私もエイドを飛び出したが、彼はまたペースを上げたようで、再び離され始めてその差がグングンと開いて行った。

沿道で応援してくれていた地元の方からイチゴを2粒戴く。

甘酸っぱい味がして、また元気が沸いてくるような気がした。

 

77.2km地点、美並村サッポロラーメン前のエイド通過が6時間42分。

私がエイドに到着する少し前に先行していた中山さん、郷さん、次いで熊坂さんがエイドを出るところだった。

大滝さんはロングタイツを膝まで脱いで、冷却スプレーでアイシングをしていた。

私もエイドの脇に置いてあったスポンジで腰や右太股のあたりをアイシングした。

そして再び金魚の糞みたいに大滝さんを追うようにエイドを後にした。

長良川沿いの大きなカーブは見通しが良く、中山さんを先頭に郷さん、熊坂さん、大滝さん、私の順にほぼ等間隔の差で走っているのがよく分かる。

私の後方はしばらく誰も追って来る様子はなかった。

大会直前にネイチャーランの参加者でもある愛知の三浦さんから新聞の切り抜きをFAXで送って頂いたのだが、その中にこの辺りの桜が役人の手によって大幅に枝打ちされたと書いてあった。

確かに国道沿いの桜や松の枝は交通の妨げになっていたのかもしれないが、実際に見てその切り口の大胆さに唖然としてしまった。

桜は腐朽菌に弱く、太い幹をむやみに切ると樹木全体が腐ってしまいかねないという。

何だかやりきれない気持ちでその桜の樹を見上げながら通り過ぎた。

 

81.7km地点、いたち坂ポケットパークのエイド通過が7時間06分。

私の到着に合わせるかのように前を行く4人が次々にエイドを飛び出して行くという展開が続く。

私はレースをするなら200kmを超えてからと思っていたので、この辺りから抜いたり抜かれたりというような"競走"はしたくなかったので、あえて集団の一番後ろから前のランナーにペースを作って引っ張ってもらうという楽な展開を選んでいた。

時計などあまり気にせず、前のランナーの背中だけを追っていれば良いので、気楽なものだ。

また、今の体調でむやみに先行すれば必ず潰れてしまうという事を体験的にも悟っていた。

太田先生、渡辺先生の乗った車が私の横を通り過ぎる。

渡辺先生が大声で「石渡さんという方がトップに突っ込んでいます。その次が大神田さん」と、上位の展開を教えてくれた。

 

85.5km地点、中部石油八幡給油所のエイド通過が7時間25分。

この時点で大滝さんは身体が復活してきたのか、かなり前の方に行ってしまい、私の直前は再び熊坂さんになっていた。

熊坂さんの青いウエアを追うようにエイドを後にする。

しかしエイドを出てすぐ彼の姿が急に消えてしまった。

あれ、どうしたんだろうと思っていると後ろから足音が聞こえて、振り向くと彼の姿があった。

「驚かせてすみません、トイレ休憩していました。何かお腹の調子が悪くって…」と、苦笑した。

しかし走り始めるとやはり彼の方がスピードがある。

10mの並走ののち、やはり彼に水を開けられてしまった。

郡上八幡の城南町交差点を左折する頃、前を行く4人のペースが少し上がってきたようで、私一人が集団から脱落してしまったかのような展開になってきた。

特に途中苦しそうだった大滝さんとはもうその姿が確認できないほどの差が付いてしまった。

 

90.7km地点、ぷらんたん駐車場のエイド通過が7時間53分。

エイドで郷さん、中山さんと一緒になった。

中山さんは「いつ来るかと思っていたけど、やっと追い付かれたよ」と爽やかな笑顔を見せた。

3人でほぼ同時にエイドを後にする。

郷さんから「大滝さんも熊坂さんも調子良くなさそうだから、今回はチャンスかもしれないよ」と、話し掛けられた。

私は「いやぁ。僕もあまり調子良くないんで、今回はノー・チャンスですよ」と、自信無さそうに答えた。

別に謙遜して言ったのではなく、今の自分の状態からしてこの後は苦戦を強いられそうだと心から思っていた。

中山さんが「またまた。本当は狙ってんじゃないの?」と、ジャブを仕掛けてくる。

郷さんがウエストバッグから使い捨てカメラを取り出して、私と中山さんのツーショット写真を撮ろうとしていた。

「嬉しいなぁ。21世紀最初のチャンピオンになるかもしれない人と一緒に写るなんて」と、中山さんが私を茶化しながら微笑んだ。

何だか自分の思っている以上に、周囲の私に対する評価、期待というものが過大であるという気がしてならない。

2人の期待に応えるかのように少しペースを上げて、私の方が先行するようになった。

いよいよ次は本田さんのお母さんが待つ大和のエイドだ。

1年ぶりの再会を思うと益々ペースが上がるような気がした。

エイド到着の約50m手前からピンクのスタッフジャケットを着たお母さんが両の手を大きく広げて私を歓迎してくれているのが分かった。

 

96.2km地点、JAおくみの大和南支店のエイド通過が8時間28分。

私も両手を広げて、そのままお母さんの両腕に包み込まれるように抱きかかえた。

しかし、私のお母さんに飛び込む勢いが強すぎたのか、お母さんはそのまま後ろ向きに倒れ込んでしまい、私もそれにつられて押し倒すような格好で倒れ込んでしまった。

「スコーン」という音と共に、お母さんの後頭部がもろにアスファルトに叩き付けられた。

私は一瞬のうちに血の気が引くような思いがした。

「大丈夫ですか?」動揺して慌てる私を気遣うかのようにお母さんは気丈に振る舞って下さり「いやぁ、ビックリしただよ」と笑ってみせた。

周囲にいたボランティアの方々も「おばあちゃん、いい加減にしなよ。はしゃぎ過ぎだよ」と、私に変な気を遣わせまいとするかのように落ち着いた対応でお母さんを起こして下さった。

お母さんとの久しぶりの再会は随分と不格好なものになってしまった。

エイドでは先行していた前田さんが椅子に腰掛けてうどんを啜っていた。

私は動揺したままで彼の隣の椅子に腰掛けて果物を一つ二つ摘まんだ。

実はこのレースでの目標の一つにエイドで椅子に座らないというのがあったのだが、この時だけは冷静に行動をとれる心理状況にはなっていなかった。

前田さんから「いつ追い付かれるかと思っていたんッスよ~。今日は押さえ気味のペースですね~」と、能天気な口調で話し掛けられると、少し気持ちがおさまってきた。

エイドを出る前にもう一度お母さんのところへ歩み寄り「本当に大丈夫?ゴメンね」と頭を下げた。

お母さんから、そして本田さんからも「気にしないで、この後も頑張って」と、声を掛けられ、ポンと背中を押されるようにしてエイドを後にした。

私より少し先にエイドを発った前田さんは走り始めるととても軽そうにどんどん私より先行して行き、その前を走っていた熊坂さんに並んだかと思うとそのまま抜き去って、あっという間に私の視界から消えてしまった。

 

101.1km地点、白鳥町に入り、丸三リースのエイド通過が8時間56分。

一応、100km9時間を切るペースで来れていて、これもレース前の予定通りだったのだが、どうもシャキッとした走りにはなってくれない。

前田さんも熊坂さんもすでに姿が確認できないくらいの差が付いてしまっている。

とりあえず次のエイド、白鳥町の第1チェックポイントを通過すればまたリズムが変わってくるかもしれないと思い、休憩もそこそこに先を急いだ。

エイドを出てすぐ、先行していた三浦さんの後ろ姿が見えた。

だいぶ脚にきているみたいで、うつ向き加減で走っているのが分かった。

少しずつ、少しずつ、三浦さんの背中が近付いて来るが、三浦さんの方は私の事に全く気が付いていないみたいだ。

東海北陸自動車道のインター入り口付近で渡らなくても良い歩道橋に登ろうとしていたので、「三浦さ~ん、こっちだよー!」と大声で、道路の反対車線から手招きするとやっと私に気が付いて、微笑いながら私の方へ近付いてきた。

100km過ぎのここまではすごく快調に走れていたようで、「ここからは歩きを入れながらだけど、何とか良い感じで行けそう。関家君もがんばって」と、優しく声を掛けてくれた。

100mの間一緒に走ったが、長良川鉄道の高架下を過ぎた辺りから私の方が先行するようになった。

いよいよ、白鳥町の市街地へと入って行く。

おじいさんやおばあさん、学校帰りの子供たち、店の人達も仕事の手を休めて沿道に駆け寄り、あたたかい声援を送って下さり迎え入れてくれた。

その声援の一つ一つに手を挙げながら応えると、また手を振り返してくれたりして、この一体感が何とも心地よい。

エイドに向かって右折しようとする頃、先行していた大滝さんの後ろ姿がチラっとだけ見えた。

私とはすでに500mほどの差が付いているようだ。

右折すると更に沿道の応援が増えて、その大歓声の中を気持ち良く駆け抜ける。

前田さんが向こうから相変わらず快調に飛ばしてきて、「頑張りましょう!」と、お互いに声を掛け合いながらすれ違った。

そして私がエイドに到着する直前に熊坂さんがエイドを飛び出して行った。

 

107.8km地点、白鳥ふれあい広場公園のエイド通過が9時間26分。

エイドには渡辺先生がおり、「調子は?」と訊かれた。

私は「今のところパッとしないけど、ここからの登りでリズムを掴みたいです」と、答えた。

スタッフの方に「ここからは夜間走行用の蛍光たすきの着用を義務付けます」と、言われたが、まだ16時前で日没には2時間ほど時間がある。

私は蛍光たすきを22.5km先のひるが野のエイドに預けていたのでその事を伝えると渋々ながら納得してくれた。

ボランティアの方の「ゆっくり休んで行って」のお誘いを笑顔で受け流し、エイドを後にした。

私と入れ違いに三浦さんがエイドに飛び込んでくる。

お互いにこの後の健闘を誓い合って別れた。

白鳥大橋を渡る手前で、小学生の女の子からクッキーを一つ手渡された。

すぐに口にすると少し喉が渇いてしまったが、ちょっとした気持ちが嬉しい。

民宿さとうの交差点を右折すると再び国道156号線に戻る。

100mほど前を行く熊坂さんは左側を走り、私は右側を走っていた。

しばらく行くと道路右脇に湧き水があり、「飲めます」という札も掲げられていた。

4回目のさくら道だが、この湧き水の存在は今まで気が付かなかった。

両手で水をすくって2~3口飲んだ。甘くて美味しかった。

 

113.4km地点、「道の駅」白鳥のエイド通過が9時間57分。

ここにこれからの登りに備えて着替えを用意していたのだが、まだまだ寒さは気にならなかったので、スペシャルの中から胃薬だけを取り出して飲んでおいた。

エイドを出ると前田さん、熊坂さんに続いて大神田君の後ろ姿が初めて見えた。

前半にかなり飛ばしていたのか、脚をかばいながら走っている様子が窺えた。

ここから少しずつ登り斜度がきつくなってくる。

私は元々登り坂は得意な方だが、特に今回はここまであまり調子が出なかっただけに、この登りを利用して何とかリズムを取り戻したいと思っていた。

次のエイドの手前からしばらく続く登り坂で大神田君との差がグングンと狭まってきた。

彼は私の足音に気付き、振り向いて私を確認するとニコッと微笑んだ。

「調子は、どう?」と、声を掛けると、

50km過ぎから腰が痛くって、白鳥のエイドでマッサージを受けたんですよ」と、苦笑いした。

二人でほぼ同時に次のエイドに到着。

 

119.6km地点、高鷲村商工会前のエイド通過が10時間28分。

エイドには今までトップグループにいた石渡さん、熊谷さん、そして前田さん、熊坂さんが全員座って食事を摂ったり、着替えをしたりして長く休憩している様子だった。

「ここに来て役者が揃いましたね」と、前田さんがトン汁を啜りながら呟いた。

私は「その中でも主役は前田さんじゃないんですか」と、冗談っぽく牽制しておいた。

実際にここまでの登りの走りを後ろから見ていて、前田さんが一番調子良さそうに見えていたからだ。

なかなか誰も動き出そうとせず、私は特に長居する理由もなかったので、

「それじゃあ、とりあえず先に行っています」と、みんなに声を掛けてエイドを発った。

東海北陸自動車道の入り口を過ぎるといよいよ登り斜度がキツくなってくる。

しかし、それと同時に私の走りのピッチも上がってきているのが自分でも分かる。

ここまでのフラットなコースとは同じ脚でも使う筋肉が違うんだという安心感があるので、気分的に楽なぶん遠慮無くスピードアップする事が出来た。

現に、今までずっと違和感のあった腰や太腿裏の痛みがすっかり和らいできているのを走りながら感じていた。

長良川最上流を過ぎると大きなカーブが増えてくる。

そのカーブの先端付近から1kmほど後方が確認できるのだが、前のエイドから誰かが私を追い駆けてきている様子は窺えなかった。

「ハー、ハー」と息を上げながら登っていると、一台のライトバンが私を追い越して行き数10mほど先で停車した。

中からサングラスをかけた金沢の走友・折橋さんが降りてきて「関家さ~ん」と、声を掛けてくれた。

私も手を振りながら彼に近付いていく。

「すぐ前に大滝さんがいるよ」と、教えてくれた。

ほんの短い再会であったが、明日金沢のゴールで会う約束をして、折橋さんと別れた。

少し行くとカーブの直前などから300mほど前方に本当に大滝さんの姿が確認できた。

 

125.5km地点、西洞公民館前のエイド通過が10時間57分。

白いテントの中に入ると大滝さんが座っており、おにぎりを食べていた。

私が追い付いて来た事に少し驚いた様子で「関家君、調子良さそうだね」と、声をかけてくれた。

「何だかこの登りから調子が出てきたみたいです」とバナナとポカリスエットを戴きながらそれに答えた。

ふと机の上にあった通過記録表を見ると、まだこのエイドを通過したのは大滝さんと私だけ。

何と、知らぬ間にトップに並んでしまっていたのだ。

私は「ウソ~!」と、驚きの声を上げた。

まだ23人、前にいると思っていたので、この時点でトップに立ったのはかなり意外だった。

大滝さんも長い休憩を摂るような雰囲気だったので、私の方が先にエイドを発った。

200km過ぎまで大滝さんや熊坂さんらに付いて行ければと思って臨んだレースだったのに、コースの半分を消化した時点でトップに踊り出てしまうとは、全く予期しない出来事であった。

しかしまだまだ先は長い。

「すぐに彼らも追い付いてくるだろう。変に意識せず、自分のペースを守ろう」そう自分に言い聞かせたが、それにしても慎重に行き過ぎるのは少々勿体無いと思うくらい身体のキレが良くなっている。

とりあえず次のエイドがある蛭が野の頂上までは頑張って走ろうと思った。

 

130.3km地点、蛭ヶ野高層湿原植物園のエイド通過が11時間27分。

昨年はこの時点で日没を迎え辺りは真っ暗だったが、今年はまだまだ明るい。

前回よりもかなり速いペースでここまで来ているようだ。

たくさんの拍手に迎えられながらエイドに入り、スペシャルに預けておいた懐中電灯と手袋、そして蛍光タスキを取り出し、ドリンクを一杯飲むとすぐにエイドを後にした。

ボランティアの方々が「えっ、もう行くんですか?」と驚いた様子だったが、あまりエイドで長く休み過ぎないというのが今回の私の「マイペース」だったので、それを崩さないようにしただけであった。

ここからはしばらくの間、長い下り坂を走るようになる。

私の苦手な下り坂なので、この区間中にも後続に追い付かれるだろうと思いながら、登りの時よりはむしろ慎重に歩を進めた。

初めてさくら道に参加した時、長い区間を一緒に走った今回の参加者でもある郷さんから教わった「下りの時は内股気味に」というのを思い出し、それを実践してみる。

何だか足の運びがスムースに出ているような気がして、心地良ささえ感じた。

「調子良いな~」

苦戦していた前半の事を思い出すと、今この位置でこんな快調な走りができているのが不思議でしょうがなかった。

しかし勝負はまだまだこれからだ。

 

135.7km地点、民宿山谷駐車場のエイド通過が12時間01分。

次のエイドまでは距離が短いので、ジュースを一杯もらうとすぐにエイドを飛び出した。

ようやく辺りが暗くなり始めてきたが、まだライトは点けていない。

この先にどんなドラマが待っているんだろう?

こんなにワクワクしながら走れるのは久しぶりのような感じがする。

それだけ調子が良いという事だろう。

 

139.0km地点、牧戸交差点のエイド通過が12時間15分。

先導車に乗っていた大会運営副委員長の大郷さんから「いいペースだねぇ」と、声を掛けられた。

私は「今の時間帯が一番調子良いみたいですね」と、オレンジを啜りながら微笑った。

エイドを出るといよいよ辺りが真っ暗になってきて、ライトを点けないと走れないような状況になった。

蛭ヶ野の登り下り区間を過ぎ、ここから再びフラットな道路状況となったが、前半のような腰や太腿の張りなどが再発する事も無く、相変わらず快調なペースを保てている。

それでも気持ちの方は「いつ、誰が私に追い付いて来るのだろう?」というまな板の上の鯉という心境と同時に、「どうせなるようにしかならないさ」という開き直りの心境が交錯しており、「今できる事は一歩一歩着実に歩を進める事だけ」という結論を自らに言い聞かせながらの走りだった。

 

144.7km地点、第2チェックポイントの荘川桜のエイド通過が12時間46分。

大歓声の中、何度もガッツポーズをつくりながらエイドに飛び込んだ。

中日新聞の記者が待ち構えており、エネルゲンを補給しながら短い取材を受けた。

「昨年3位の関家さんですよね。今年は調子どうですか?」

「前半は調子悪かったんですけど、蛭が野辺りからの得意の登りで調子出てきたみたいです」

「このまま行けそうですか?」

「いやぁ、後ろに強いランナーが何人もいますので、じきに抜かれると思います」

そう言うと記者の方も苦笑いで、とにかく頑張って下さいと励まされた。

ここのスペシャルに着替えなども用意していたが何も取らず、本当に最低限の休憩時間でエイドを出ようとすると、記者からもボランティアからも「えっ、もう?」という声が聞かれた。

エイドを出る際に辺りを見回して太田先生と渡辺先生の姿を確認したが、いないようだった。

実はこの地点で先生方に尿の採取を依頼されていたのだが、私の到着に間に合わなかったようなので、構わずに先を急いだ。

尾神橋を渡り最初のトンネルを抜けたところで、我慢しきれなくなりこのレース中2回目のトイレ休憩。

これだけトイレ休憩が少ないという事だけを見ても調子の良さを物語っていると言える。

 

150.0km地点、福島保戸1号のエイド通過が13時間14分。

私もウルトラマラソン歴は長いので「1km何分」という計算は苦手なのだが、50km単位での計算は容易にできる。

50km4時間25分平均でここまで来れているという事。またそのスピードに自分自身驚いた。

少し冷え込んできたようなので、スタートからここまでずっと腰に巻いたままだったウィンドブレーカーを羽織った。

と言っても、まだいいペースで走れていたのであまり寒さは感じていなかったのだが、本当に寒気を感じてからでは遅いので、早めに着込んでおいたのだ。

ボランティアの方から温かい飲み物を勧められたが、ポカリスエットを一口飲んだだけでエイドを後にした。

この区間はトンネルが多いのだが、交通量もそれほど多くなく、シーンと静まり返った暗闇の中で私の足音がトンネル中に響き渡るのを心地よく感じながら走れた。

最後の福島第3トンネルは長くて急な下り坂になっているのだが、今年は苦手な下りに入っても全くペースが崩れない。

時折「ィヤッホ~!」と声を上げながら快調に飛ばしていった。

トンネルを抜けると更に下り斜度がキツくなり、急なカーブを曲がり終えると次のエイドが見えてきた。

 

155.7km地点、電源開発御母衣電力所30周年記念公園前のエイド通過が13時間42分。

エイドに到着するとボランティアの方が「私、6年ほどここのエイドやっていますけど、今までで一番早い通過じゃないですかね」と、感嘆の声を上げた。

「え~、そうですか?」と惚けながらも時計を見ては、かなり良いペースで走れている事を確認し、心の中でほくそえんだ。

チョコレートとドリンクを貰い「次のエイドまでは(区間距離が)短いんですよね?」と、確認しながらエイドを後にした。

荘川桜からしばらく下り基調のコースだったが、合掌造りの旧遠山家住宅を過ぎると急な登り坂に差し掛かる。

何故だか登りが来ると嬉しくてしょうがない。

更にペースを上げるようにして走っていると、後ろから来た車が私の横で停まり「関家さん頑張って~!私もセキヤって言うんです」と、訳のわからない声援をくれ、そのまま通り過ぎていった。

少しズッコケたが何でもいい。レース中は誰かに声を掛けてもらうだけで本当に嬉しいものだ。

決して一人で走っているわけじゃないのだと思うと、それだけで勇気と力が湧いてくる気がする。

平瀬の町が近付いて来るとランナーを歓迎する横断幕が掲げられていて、民家の灯りもだんだん増えてきて安心したような気持ちになった。

 

159.3km地点、平瀬温泉白山タクシーのエイド通過が14時間02分。

私の到着を待っていたかのように、町をあげてのお祭り騒ぎのような拍手と歓声が湧き起こった。

エイドの中から出てきた女の人から温かく蒸したタオルを貰い、顔を拭くとサッパリした。

果物などを摘んでいると先導車の大郷さんから「関家さんの身に付けているタスキは車から確認し辛いので、これを使って下さい」と、スタッフ用の黄色いタスキを手渡された。

「大事なトップランナーにもしもの事があったら大変ですからね」と、冗談っぽく言われたので、

「いやぁ、もうすぐ誰かが追い付いて来てトップも代わりますよ」と、言いながらそれを受け取った。

周囲の期待とは裏腹に自分自身、今の位置を走れている事がいつまでも信じられなくてならなかった。

ボランティアの方に「ガムなんかありませんかね?」と、リクエストすると

「ガムか~…、気が付かなかった」と呟いていたので

「あ、無ければ別に良いですよ」と、言いながらそろそろエイドを出ようとすると

「俺持っているよ」と、大きな声で中年の男性がポケットから23枚取り出して急いで私に手渡してくれた。

これから夜の眠気覚まし用にと軽い気持ちで頼んだのだが、なんだか皆さんに変な気を遣わしてしまい申し訳ないと思った。

机に並べて置いてあったペットボトルの水を片手に、大歓声に送られながらエイドを後にした。

昨年はこのエイドを出た辺りから雨が更に強くなり、寒くて全く走れなかった事を思い出す。

昨年苦労した残像がはっきりと頭の中に残っているので、その事も今年の快走に繋がっているみたいだ。

ウィンドブレーカーを着て、手袋をはめて、外は寒いはずなのだが給水と冷却のために膝にかけた分とで、500mlのペットボトルの水は次のエイドまでの6km余りの間に全て無くなってしまった。

 

165.9km地点、砂利採石場のエイド通過が14時間37分。

平瀬から白川郷までの約10km区間は周りに民家なども少なく、夜の真っ暗闇の中を行くようになるので、人の気配に満ち溢れたこのエイドにはついつい長居してしまいたくなるのだが、それ以上に今の走りのリズムを崩したくなかったのでエイドでの休憩は最小限に止めるようにし、ドリンクを一杯だけもらい次のエイドを目指した。

この時間帯に走れているという事象は、孤独感なども忘れさせてしまうほどの強い味方なのだ。

 

170.9km地点、荻町合掌の里入り口のエイド通過が15時間05分。

エイドの前でストレッチをしながらジュースを補給していると、先導車サポートの大郷さんの携帯電話の話し声が聞こえてきたので、素知らぬ顔をしながらそば耳を立てた。

「もうすぐ2位のランナーが前のエイドに着くところ。3位以降はもうかなり離れていて、我々にはサポートしきれないから、そっちの方でよろしく頼むよ」

125km地点でトップに立って以来、後続の状況を確認できたのはこれが初めてであった。

これだけの走りができているのだからそうそう後ろは追い付いては来ないだろうと思っていたが、すでにエイド一区間ぶんの約5km近い差ができているとは思ってもみなかった。

大郷さんの話は聞かなかったようなフリをしながら、相変わらずの短い休憩でエイドを後にした。

合掌集落の辺りはまだ夜が更ける前の時間帯という事もあり、ところどころ灯かりが点っていて何だか心強い。

沿道には観光客らしき人の姿もあり「がんばれー」と、声を掛けられた。

 

175.0km地点、第3チェックポイントの「道の駅」白川郷の通過が15時間28分。

預けておいたスペシャルの中から胃薬を取り出して飲んでおいた。

手持ちのライトを予備に置いておいたライトと交換する。

そして序盤から腰紐の位置に差し込んだままだった帽子をスペシャルのバッグの中に仕舞い込んでゴール地点へ運んでもらう事にした。

今の調子から、ゴールタイムが明日の昼頃まで差し掛かる事はないだろうし、この後も天気の崩れは無さそうなので、日除けの心配も雨の心配も必要無しと判断した。

このエイドでサンドウィッチを一つだけ摘まむ。

ボランティアのお母さんから「去年と比べてどうですか?」と、声を掛けられたので、

「今の時点で去年より2時間以上も速いペースです」と、答えると目を丸くして驚いていた。

エイドを出るとすぐ1800m以上ある飯島トンネルと1300m以上ある新内ヶ戸トンネルが続く。

歩道は雪解け水が漏れていて走り辛いので、車道を走るようにし、車が来た時だけ歩道に上がるようにした。

交通量もほとんど無いトンネルの中はオレンジの光が明るくて快適だ。

走りながら思った。

175kmを通過した時点で、これ程までに走っている時間帯が楽しいと思えるレースって今までにあっただろうか?

大概これ程の距離を踏襲したランナーは先のエイド、その先のエイドで休むのを楽しみ、或いは拠り所にしながら我慢して走るのが相場なのだろうが、走りそのものが楽しいので、次のエイドまでの時間もヤケに早く感じてしまう。

 

180km地点、椿原発電所前のエイド通過が16時間05分。

走りのリズムを崩したくなかったので、早々にエイドを後にする。

私がエイドを発つのと同時に、ボランティアらしき人が私の後ろを付いて来た。

私は別に気にする素振りも見せずにそのまま先を急いだが、その人はいつまで経っても私の数メートル後ろを黙々と私と同じペースで付いて来るのだ。

何だろう?と不思議に思ったが、変に走りのリズムを崩したくなかったので敢えて気にしないように、前だけを見ながら走った。

トイレ休憩を取るとその人も止まって、よそ見をしながら私が走り出すのを待っている。

結局一言も話をしないまま、その人は次のエイドまで私と一緒に走りきってしまった。

 

185.1km地点、越前トンネルのエイド通過が16時間35分。

今年はエイドの位置が昨年よりもゴール寄りにずれており、自分の感覚よりも前のエイドからの区間ラップは遅かった。

次のエイドまでは4km弱なので、補給もそこそこにエイドを後にする。

そして再び先ほどのボランティアらしき人が私の後ろを付いて来た。

「ひょっとしたらトップの選手にはこのようなペーサーでも付く事になっているのかな?」

次のエイドまで半分ほど通過した頃、その人が私に近寄って話し掛けてきた。

「関家さんの持っているライト、ちょっと暗いですね」

実はここに来るまで、白川郷から交換したライトの光の弱さはずっと気になっていたのだ。

「そうなんですよ。電池が無いのかなぁ…」と、答えた。

その人は走りながら携帯電話を取り出して、電話の相手と何かを相談し始めた。

電話が終わり「ちょっと次のエイドまで先回りして電池を用意しておきます」

そう私に告げると、彼は全速力で私を追い抜いて、次のエイドまで急いで走って行った。

何だか色々と迷惑掛けて申し訳ないと思うのと同時に、周囲の方々がこれほどまで一人のランナーの為に尽くしてくれるのかと思うと胸が熱くなってきた。

 

188.8km地点、「道の駅」上平(ささら館)のエイド通過が16時間53分。

2つ前のエイドから私に付いて来た方はここのエイドのボランティアだったらしく、私が水分補給などの休憩をしている間に電池の交換までしてくれた。

本当にありがたい事だ。

「ありがとう」と、何度もお礼を言って、エイドを後にした。

ここからはまた一人きりで走るようになる。

次のエイドまでは7kmあり、コース中二番目に区間距離が長い。

しかし今回ばかりはそれがかえって嬉しくてしょうがなかった。

「今の調子でこの長い区間を俺はどう走ってしまうのだろう?」

自分の持っているものを出し切るというより、自分の中に隠れていた潜在能力、新しい自分発見の旅をしているようで、ワクワクしながら走れている。

とにかくこんな気分爽快で痛快なレースは今までに体験した事が無い。

東海北陸自動車道「五箇山」ICの入り口付近に蛭が野の登りで会った折橋さんが車を降りて待っていた。

「今、2位は熊坂さんで30分差。その後はもう1時間以上離れているよ。この後も頑張って」と、声を掛けられた。

金沢でお会いする事をあらためて約束して、折橋さんとは別れた。

この時点で初めて私を追い駆けているのが熊坂さんだという事を知った。

彼は昨年、トップを走っていた沖山さんと一時は1時間近くも離されながら終盤に逆転して優勝した粘り強いランナーだ。

私も昨年は彼の後を追い駆けていたので、その強さの程は充分に承知している。

今現在の30分差などは「僅差」と言ってもいいくらい、あって無いようなものだと気が引き締まる思いがした。

 

195.8km地点、食事処「高千代」のエイド通過が17時間34分。

エイドではネイチャーランの常連である塩原さんと小川さんが世話をしてくれた。

二人ともかなりの実力者なのに、厳しい選考の為に今回は出場を諦めざるを得なかった。

しかしせめて何らかの形で大会に協力したいと、ボランティアを買って出たお二人の姿勢は素晴らしいと思った。

塩原さんが「すごいね~。全然ペースが落ちないね」と、目を丸くした。

「何だか調子良いんですが、この先の五箇山からの長い下り坂が勝負ですね。僕、下りが苦手なんですよ」と、一口チョコを摘みながら答えた。

「下り坂が苦手なんて勿体無い…」と、小川さんが苦笑いした。

昨年、別のレースの長い下り坂で小川さんにどんどん離されて行った事を思い出し、私も苦笑した。

走りたくても参加させてもらえなかった二人の分まで頑張ろうと、気持ちも新たにエイドを後にした。

1kmほどある上梨トンネルを抜けると300mほどの急な登り坂がある。

いつもは歩いて登る坂だが、200km地点過ぎにある五箇山の急登への前哨戦のつもりで走ってみたが難なく走りきれた。

「これで五箇山も大丈夫そうだな」と、良い感触を得られた。

 

200.1km地点、五箇山タクシーのエイド通過が17時間57分。

200kmの通過タイムとしては台湾の24時間走の時より20分も速い。

100km手前の岐阜県大和町でボランティアをしていた本田さんが移動してこちらの方でもボランティアを担当して下さった。

私は大和町を通過後、本田さんのお母さんの事がずっと気になっていて、頭に怪我など負っていなかったか尋ねた。

本田さんから「かえって余計な心配させちゃって悪かったね。おばあちゃんはあの通りの元気者だから平気だよ。それより『一緒に倒れ込んだ瞬間にワシのパワーが乗り移ってトップになったんじゃ!』と嬉しそうにしていたよ」と、聞かされてすごくホッとした気持ちになった。

「そう言えばそれまでけっこう調子悪かったのに確かにあれから調子が出てきたような気がする」

赤まむしドリンクを飲みながら微笑とともにそう答えると本田さんも嬉しそうに微笑んだ。

「さあ、この五箇山の登り下りが勝負!」と、気合を入れ直してエイドを後にした。

ネイチャーランのコース中一番の難所と言っていい五箇山への約4.5kmの登り坂だが、昨年も頂上まで走れた記憶が鮮明に残っているので、登りの方が気分的に楽だった。

とは言え、やはり難所と言われるだけあってかなり斜度のキツイところもあったが、歯を食いしばって頂上付近にある次のエイドまで休まずに走り続けた。

 

204.5km地点、梨谷トンネル手前のエイド通過が18時間29分。

先導車に乗っている大郷さんがエイドに先回りして迎えてくれ、「登りも快調に走っていたねぇ」と目を細めながら話し掛けてきた。

「登りには自信があるんですけど、問題は城端までの下りをどう誤魔化せるかですね。去年はあの4km1時間近くかかってしまいましたから・・・」

白川郷を過ぎた辺りから会う人会う人に同じような事を言っていたような気がする。

それだけ五箇山からの下りが気になっていたのと同時に、何10kmも先の事を気にできるくらいその瞬間瞬間は何のトラブルも無く順調にここまで来れていたという事の証だろう。

エイドを出るとすぐ梨谷トンネルに差し掛かる。

800mほどのトンネルを抜けると一台の車が対向車線の端に停まっており、その近くにいた人がカメラをかまえているのが見えた。

暗がりでかなりその人の方に近付くまで誰なのか分からなかったが、東京からわざわざ応援に駆けつけてくれた走友の井上さんだった。

私は両手をいっぱいに横へ広げて「わ~!来てくれると思っていた~!」と、喜びを表現した。

今年は忙しいので応援には行けないよと、事前に聞かされていたのだが、相変わらずさりげなくやってくれるものだ。

「後ろとはかなり差があるから。マイペースで」

短い会話とアドバイスで、これもまたさりげなく私を送り出してくれた。

直後に約3kmもある五箇山トンネルを抜けるのだが、夜中の1時過ぎという事もあって大会関係車とパトカー以外は通る車もほとんどなく、空気も良く気分も良く快調なペースを維持でき、あっという間に通過する事ができた。

 

209.3km地点、トンネル出口パーキングのエイド通過が18時間56分。

給水を摂りながらしゃがみこんでストレッチをしている脇で大郷さんが「24時間以内完走でも狙っているんじゃないの」と冷やかすように話し掛けてきた。

「いや、僕の場合気負うといつもろくな事ないですから。あまり意識しないでこの後も淡々と距離を刻むだけです」

「淡々と…」大郷さんは私の言葉を復唱すると2~3度軽く頷いて小さく唸ったまま言葉を呑み込んだ。

我ながらうまい表現を使ったものだと気分を良くしたままエイドを後にした。

昨年は眠気と疲れから全く走れず、断崖絶壁のように感じた五箇山からの下り坂だったが、今年は全く問題なく走れた。

走ってみると意外に「あぁ、この程度の坂だったのか」と、拍子抜けしてしまうくらい緩やかな斜度に思えた。

調子が良いという事は苦手意識さえも克服してしまうものなのか。

 

213.4km地点、第4チェックポイントの城端町大鋸屋のエイド通過が19時間19分。

心配していた下りを無事に、いやむしろ快調に走れた事により、初めてこのまま逃げ切れるかもしれないという気がしてきた。

同時に残りの距離と今のペースを計算すると、24時間以内どころか6年前に沖山健司さんが記録した22時間50分というコースレコードを更新するのも夢ではないと思えた。

「記録は出せる時に貪欲に出しておくべきだ。後で後悔しないように」

奇しくもレース前に当の記録保持者・沖山さんや井上さんからこんなアドバイスをもらっていたのを思い出す。

よーし、一丁狙ってみるか。

また気持ちを入れ直し、気合いも新たにエイドを後にした。

スタートからずっと曇空だったのが、五箇山を越えたあたりから晴れてきて、星がいっぱいに見えるようになってきた。

周りに何も無い、畑の真ん中に真っ直ぐ伸びた道を夜空の星を見上げながら走っているとふと、昨年の夏にレース中に車にはねられて非業の死をとげた走友の事を思い出し、目に熱いものが込み上げてきた。

「今こうして走れる事はなんて素晴らしいんだろう。彼女のぶんまで走ろう。天国から見守っていて下さい」

星の流れる空にそう呟いた。

 

219.1km地点、松島撚糸福光工場前のエイド通過が19時間55分。

福光町のマドンナ、波多美稚子さんの握手に迎えられてエイドに着いた。

顔見知りの多いエイドで、何だかホッとした気分になった。

みんな私の力量や過去の実績を知っているので、今回の好調さには率直に驚きを隠せない様子だった。

休憩もそこそこにエイドを出ようとすると拍手と共にまた驚嘆の声が上がった。

周囲の驚きぶりが何とも心地良く感じられ、それがまたプラスアルファとして自分の力に変わってるような気がした。

福光駅前を左折するとすぐ毎年お世話になっている坂上松華堂の前を通るが、さすがに夜中の2時過ぎにシャッターも閉まっていて挨拶するどころではなかった。

昨年は満開に咲いていた福光橋から見える小矢部川沿いの桜も今年はすっかり終わってしまっていた。

人の気配の全く無い福光町のメインストリート。

息を目一杯吸い込むと自分は周囲の色々なものに守られているんだなという充実感で満たされて、それが走る事への集中力を一層高めてくれているような気がした。

 

224.1km地点、道の駅福光・なんと一福茶屋のエイド通過が20時間18分。

先のエイドでもお世話になった波多さんが迎えて下さり、久しぶりにうどんを口にした(今回のレースでは固形の食べ物をほとんど摂っていない)。

しゃがみ込んでカップに半分くらいのうどんを啜っていると

「関家君、一年前と比べて随分と痩せたみたいだね」と、静かな口調で彼女に言われた。

「いやぁ、私生活でも色々と苦労がありましたから」冗談のつもりで答えたのだが、なんだか妙に納得されてしまい続きの言葉に困ってしまった。

ライトの電池がそろそろ切れそうだったのだが、ボランティアの方がわざわざカメラの電池を抜いて私のライトの電池と交換して下さった。

本当に色々な形でボランティアの方々には世話になりっ放しだ。

エイドを出るといきなり長い登り坂がある。

しかし、もはや走る事に対して怖いものは何も無かった。

むしろ「今のこの調子であの坂をどう走ってしまうのだろう」という自分自身に対する興味が強くて、わくわくしながらその坂に立ち向かって行けた。

坂の途中で私を追い抜いて行った車から「関家さん、頑張って!」と、男の声が聞こえた。

「あいよー!」と、大きな声で手を上げて返事した。

距離を追う毎にどんどん気持ちがノッてくるような気がする。

 

229.1km地点、蔵原口のエイド通過が20時間49分。

スタッフ、ボランティアの方々がにわかに騒々しくなってきた。

「大会記録…、日本記録…」何だか記録に対する期待感がヒシヒシと伝わってくる。

私は聞こえないふりをして給水を摂りながらストレッチを繰り返した。

24時間の制限時間まであと3時間!」と、大郷さんが冷やかす。

「え~!勘弁して下さいよ」と応えつつも、まんざらではない気分だった。

早々にエイドを出ようとするとどこからともなく「えっ、もう?」と声が聞こえた。

それがまた実に心地良い。

富山県から石川県にかかる県境の登り坂はけっこう斜度もキツくレース中最後の難所と言ったところだ。

しかし坂に差し掛かると嬉しくてしょうがなくて、余計にスピードが乗ってくるような気がした。

先導車が後ろから私を追い抜こうと加速するが「抜かれるもんか~!」と、こちらの走りも加速して走り去る車を追いかけようとした。

こんな遊び心が持てるほど気分的にも体調的にも絶好調に達していた。

 

234km地点、たけまた友愛の家エイド通過が21時間18分。

スタッフの方から「申し訳ないんだけど、予想していたより通過が早過ぎるので次のエイドはひょっとしたら開設が間に合わないかもしれません」と、聞かされた。

「え~!」と、大袈裟なリアクションをしたが、内心「よしそれならエイドが開く前に通過してやれ」というイタズラ心が沸き上がっていた。

やはり早々にエイドを出ようとするとボランティアの一人が私のもとに駆け寄ってきて

「福光町の松島撚糸から電話があって、たった今2位の方が通過されたそうです」と、教えてくれた。

「ありがとう!」と、手を上げてそのまま先を急いだ。

残り16kmで約15kmの差。

この瞬間、優勝は間違いないと思った。

 

239.1km地点、出光GSのエイド通過が21時間46分。

何とか間に合った開設されたばかりのエイドだったが、ボランティアの女性の「椅子に腰掛けて、ゆっくり休んでいって」というお誘いにも丁重にお断りし、コップ一杯の給水だけでエイドを発った。

残り11kmで大会記録までは1時間余り。

こうなったら絶対に大会記録を破りたいという欲が私を支配していた。

 

243km地点、荒木建設のエイド到着が22時間08分。

ここで一目散にトイレに駆け込んでレース中初めて大きな方の用を足した。

記録の事を考えるとそんな余裕は無いはずなのだが、今の調子からみて残り7kmをキロ5分ペースで走れる自信があったし、その為にもここで体調を整えておかなければならないとの判断があった。

3分のトイレ休憩の後、そのままエイドを出ようとするとボランティアの一人から

「せっかくだから何か飲んで行ってよ」と、催促されたので

「それもそうですね」と、微笑いながらテーブルにおいてあったヤクルトの蓋を指で突っついて空けて一気に飲み干した。

拍手に送られながらエイドを後にする。

森本のT字路を左折すると夜明けが近付いて来ているのを感じさせるように、少しずつ空が白んで行くのが分かった。

金沢市の中心部が近付いてくるにつれ信号の数も増えてくるのだが、日曜日の午前4時を過ぎたばかりの国道には行き交う車もほとんど無く、私の行く手を阻むものは何も無く、まるで交通規制された国際レースを走っているような錯覚を覚えた。

更にスピードを上げると左足の人差し指からズルッという違和感を感じた。

どうやらマメが潰れたようだ。

今の今までマメが出来ていた事さえ気付かなかった。

それほど走り自体が調子良かったのだろう。

 

247km地点、小坂小児科病院のエイド通過が22時間30分。

井上さんがエイドにいたので、手に持っていたライトを彼に預けた。

ポカリスェットを一杯だけ飲み、エイドを後にした。

ここにきてランニング・ハイのような状態になり、細かい事は何も覚えていない。

ただ記録達成を目指して、前だけを見つめて歯を食いしばって走った。

身体じゅうが燃えるように熱い。

今私に触れようとする者は水ぶくれ程度の火傷は覚悟しなければなるまい。

ゴールまでの残り3kmは参加したランナーの誰もが「あそこは3km以上あるよ」と口を揃えるのだが、今回初めてこの距離表示は間違っていないという事が分かった。

それだけ最後まで正確なピッチを刻めていたという事だ。

「兼六園下」の大きな交差点から向かいの兼六園入り口を見るが、今年は誘導のスタッフも観光客の姿も全く見られなかった。

どうやら誘導スタッフの配置も間に合わなかったようだ。

何だか嬉しくて交差点を全速力で突っ切り、その勢いで入り口からの急坂を一気に駆け登った。

坂の頂上附近でピンクのジャケットを着たスタッフが二人ほどおり、うち一人が私の後ろに付いてきた。

息を切らせるようにしてラストスパートをかける。

さすがにスタッフの方もこのスピードには付いて来られない。

ゴールの佐藤桜までの数百メートル続く桜並木は、今年はもうすっかり花の時期は終わっているようだ。

私は桜の樹を見上げる暇も無く、ただゴール附近にいるピンクのスタッフジャケットの集団一点のみを見つめて突っ走った。

残り50mほどになり、着ていたウィンドブレーカーを脱いでポンと空に向けて放り投げ、ランシャツに刻み込まれた「巨人軍団」の文字を誇らしげに掲げてみせた。

「明日の中日新聞に巨人軍団のユニフォームの写真で殴り込みだー!」

ゴールの佐藤桜の前に集まっていたスタッフを追い越さんばかりのスピードにやっとブレーキを掛け、右を振り向き1500本目の佐藤桜に正対した。

「あぁ、着いたー!」

まるで何年ぶりかの恋人に会ったような心臓の高鳴り。

佐藤桜の枝に両手でタッチし、そのまま桜を抱きかかえるようにしてしがみつき、雄叫びを上げた。

「よっしゃー!」

 

「大会記録」「新記録」…

スタッフの間からざわめく声が聞こえる。

派手なゴールパフォーマンスを終え、ガッツポーズをつくりながらその輪の中へと向かった。

「ゴールタイム22時間45分。大会新記録です。おめでとう」

大会委員長からそう告げられ、造花の桜で編んだ冠を頭にのせてもらった。

私はスタッフの方々に深々と頭を下げ、拍手の中でもう一度ガッツポーズをつくり空を見上げた。

午前5時を過ぎたばかり、日の出の時間まであと5分ほどと迫った兼六園の上空は薄青く晴れていて、私の健闘を祝福してくれるかのように優しかった。

 

大会が終わり日常の生活に戻ってもしばらくは興奮が収まらなかった。

たくさんの方からメールや手紙、電話などをいただき、祝福される度にレースでの感動が蘇るようだった。

しかし、そのメールの中に一つだけ気になるものがあった。

「残念ながらあなたの記録は大会記録ではありません。6年前に沖山さんが22時間50分で走った時は251kmの距離だったので、やはり記録としてはこちらの方が上でしょう」

という内容だった。

後日、沖山さんにお会いする機会があったので本人に直接その事を尋ねてみた。

「そうだったっけ?」

と、沖山さんはとぼけたが、当時の資料を見せてもらうと間違いなく251kmと記されていた。

どうやら金沢市内の祭りと重なったらしく、その年だけ市内を迂回するコース設定を余儀なくされたらしい。

記録というものはやはり同じ距離のもとで比較されるべきものだと思うので、あえて私からその事実だけは指摘しておきたい。

しかし同時に250kmという長丁場のレースにおいて、僅か数分のタイム差など何の意味も持たない事も確かだと思う。

6年前の記録も凄いが、その翌年「いのち咲く道」というタイトルでテレビ放映されたレースで、日中の暑さや峠の雪などの悪条件の中で出した23時間48分という沖山さんの記録は、ビデオを何回見ても胸が熱くなるような素晴らしい走りだったと思うし、昨年の大雨の中を23時間47分で優勝した熊坂さんの記録も、同じレースに出ていた一人として尊敬に値するような快記録だと思っている。

またレースは違うが昨年、スパルタスロンの難コースを24時間01分で走り切ってしまった大滝さんのパフォーマンスは長く日本のウルトラマラソン史上に語り継がれる快挙と言えるだろう。

250kmもの超長距離になれば、コース設定や気象条件等によって数時間の誤差など当たり前に違ってくると思うので、単純な数字の比較だけで過去の大会を語ってしまうのは全く意味が無い事だと思う。

しかし私は2001年の大会で誰よりも速く、そして一つの悔いも残らない素晴らしい走りが出来た事を誇りに思っている。

そしてその感謝の念はいつまでも絶えない。

 

レースから一週間後。

もう一つのさくら道ウルトラマラソンの大会があり、私はサポートして参加させてもらった。

さくら道を車で走りながら、僅か一週間前の事が懐かしく感じられるような感慨に耽った。

白鳥町では佐藤良二さんの実姉である尾藤てるさんに初めてお会いする事ができた。

「翌日の新聞に載っていた桜の樹に抱きついている写真がとっても良くて、弟の遺影の下に飾っているんですよ」と、知らされてすごく嬉しく思った。

たくさんのランナーの奮闘ぶりを毎年見守り続けている名金線の佐藤桜。

来年もまたランナーとして、そしてひとりの人間として、また一つ成長した自分を見せに訪れたいものである。