朝からランニングシューズを履き、リュックを背負って走り出す。家から会社までの距離はおよそ5kmであるが、晴れの日だけでなく雨の日も余程の土砂降りで無い限りは走って行く事に決めている。
そのような通勤のランニングを始めてから彼此15年ほどになる。
いつからだろうか、会社帰りのランニングは5kmでは飽き足らず、わざわざ遠回りをして10km以上も走るようになった。
走る事は私にとって特別なものではなく、食事をしたり歯を磨いたり、睡眠したり…人間が生活する為に当たり前に行う事と全く同様な扱いで、私の普段の生活に溶け込んでいる。
だから暑い時、寒い時、元気な時、疲れている時、それぞれの状況に応じて身を委ね、自然に身を任せる事を心掛けている。決してランニングの為に他の何かを犠牲にする事を良しとしない。
時計は極力見ない。時間ばかりを気にすると、色々なものに逆らう事になってしまうからだ。身体が疲れていたり、天候が悪かったりしたら歩くような速度でゆっくり走れば良い。そうした無理の無いランニングを心掛ける事で長く走り続けて来られた。
当初会社の同僚は、汗びっしょりになって会社の門を潜り、ロッカーで慌てて着替えをしている私の様子を不思議そうに、変わり者でも見るような「好奇の眼差し」で観察していたが、これだけの年月を経過して来ると、そのような光景が珍しくも無くなったようだ。
むしろ最近では、長年に渡り一つの事をやり続けている事と、その間、健康を維持して来た事への「尊敬の眼差し」へと評価が180度変わって来たような気さえする。
元々そのような他人の目に頓着するような性格でもなかったが、継続は力なりという言葉の意味を改めて噛み締めている。
私のランニングは一個人の内面に浸透し溶け込んだだけでなく、社会の風景の1ピースとしても居場所を確立してきたようだ。
本格的にランニングを始めたのは25歳の時だ。鏡に映った自分の、膨らんだお腹を見て一念発起した。
当時の私は趣味の少ない仕事人間で、運動不足と会社付き合いの暴飲暴食が積もり積もってストレスが溜まり、およそ健康とは対極の生活習慣が身に付いてしまった。これを健康的な習慣へと転換させるには、心を入れ替えて、長くランニングを継続させなければいけないと考えた。
そうなると「痩せる為のランニング」ばかりではなく、走る事そのものに何か特別な意味を持たせる必要があるのではないか?そこで私は半年後に開催されるフルマラソンの大会へ早速申し込み、まずはそのレースに向けて「走るしかない」状況を作り出した。
そうして退路を断ち、自分自身を追い込んで始めたランニングではあったが、その効果はレースまでの半年を待たずして表れた。76kgあった体重は70kgを切るまでになり、ビールも美味しいし食事も進む。初めから食事を制限して行うダイエットは考えていなかったので、運動による「積極的ダイエット」は、私生活の行動や考え方も前向きにしてくれたと思う。
こうして半年後に初めて参加したフルマラソンを3時間39分で無事に完走。ダイエットと共に当初の目標は叶ったのであるが、それまで抱いていたランニングに対するネガティブな印象が全て払拭され「走るって本当に楽しい」と心底感じ始めていた私は、その後も勿論ランニングを続ける事にし、また次の目標となるレースを探してエントリーするという事を繰り返した。
走り始めてからちょうど2年。27歳の時であったが、北海道のサロマ湖100kmウルトラマラソンを11時間08分で完走。フルマラソン初完走の時には無かった事だが、ゴール後に自然と涙が溢れ出た。
事前のトレーニングでは半分の50kmを走るのもかなり辛かったので、ひょっとすると自分には無理かもしれないと弱気になっていたので、完走した喜びも一入であった。「為せば成る為さねば成らぬ何事も」という言葉があるが、何事も挑戦してみなければ結果は分からないという事だ。
しかし順調だったのはここまで。その後、ひょんなキッカケからフルマラソンの記録を意識し始め、スピード練習などを取り入れた辺りから身体に変調を来たした。膝の靭帯が炎症を起こし、少し走ると痛みが出る毎日。あれだけ楽しいと感じていたランニングが、いつしか苦痛を伴うものとなり、ついには全く走らなくなってしまった。
それから暫くは運動といえば近所の仲間で集まって行う野球くらいで、スキューバダイビングなども始めて気を紛らせていた。しかしランニングで感じたあの充実感や感動は他の何物にも替えられるものではなかった。膝の故障もだいぶ癒えてきた29歳の秋、再スタートのレースとして中国の北京郊外で行われた「万里の長城100kmマラソン」に参加した。タイムはどうでも良い。とにかく私には完走あるのみ。従って最初からランニングというよりはジョギングに近いペースで、ゆっくりと一歩ずつ踏み締めるように足を運んだ。
このレースは天安門広場に面した中国歴史博物館前をスタートし、郊外の平坦なルートを延々と走り、最後は急坂を登って万里の長城の慕田峪長城口がゴールとなる。長城の部分は僅か数10mしか通らないが、そのスケールの大きさに惹かれて臨んだ。
1kmを7分前後のペースで、何も考えずに只管走った。60km地点からは偶然知り合ったベテランランナー2人にペースを任せ、やはり只管彼らの後ろを付いて行った。最後は意識朦朧となり、2人に抱きかかえられるようにして制限時間5分前の12時間55分でゴールのテープを切った。
ゴール直後、その場に蹲って人目も憚らずに号泣した。自分が頑張ったという事よりも、私を心配して何とかゴールに導いてやろうと、最後まで励まし続けてくれた2人に対する感謝の気持ちで胸がいっぱいになったのだ。ウルトラマラソンは記録を追及するばかりの競技ではなく、心の通った人と人との触れ合いの場である事を初めて知った。私のウルトラマラソンの原点がここにある。
その後も順位や記録などは意識せず、人や自然との触れ合いを楽しむ為のレース参加を続けた。練習の段階から「人と会話できる程のスローペース」でしか走らないので、故障とも無縁となり、走り仲間もたくさん増え、人生が豊かになった。
ところが、そのような無理のないランニングを続けているうちに、思いもよらない「異変」が劇的に進行した。自分自身はただ楽しく走っているだけなのに…である。当時はほぼ毎月のようにウルトラマラソンの大会に参加していたのだが、レースに出る度に記録が良くなって行くのだ。距離に対する不安は一切無くなっていたし、走る事に対するストレスも全く感じない。そのようなランニングに対する好意的な姿勢が、身体の動きをどんどんスムーズにしてくれたのかもしれない。
そしてついに31歳になる直前。300人近くが参加した100kmマラソンで、初めて優勝する事ができた。自分のペースで走っていただけだった。ただ、先行していたランナーが次々と後退し、気が付いたらトップを走っていた。当時の自分の走力を客観的に判断して「優勝できるかもしれない」という予感はあったが、「優勝するぞ」という力みは全く無かった。あくまでも自然体で臨んだ結果であり、そうした気持ちの余裕が、自分の力を最大限に引き出す要因になったのではないかと思う。
この姿勢はそれから15年経った今でも変わらない。
レースに出るのは自分自身であるのに、どこかいつも他人事のようで、プレッシャーというものを全く感じた事が無い。それがその後のSpartathlon(ギリシャ・アテネ~スパルタ間246kmレース)の2度の優勝や、24時間走世界大会の4度の優勝、台湾の東呉國際ウルトラマラソン(24時間走)の7連覇を含む8度の優勝等に繋がっていると思う。
28歳の時にランニングに対して熱くなり過ぎて故障した経験が、その後の私の行動を戒め、冷静さを保持する教訓として活かされているのだと思う。
ウルトラマラソンに参加するランナーの年齢層は意外と高い。
30歳そこそこで各地のレースに参加していた頃はいつも参加者全体の平均年齢よりもかなり若い方に属していた。24時間走世界大会でも各国の代表選手の平均年齢は40歳を下回らない。
46歳の今になって思うのは、このウルトラマラソンは体力的な強さよりも精神的な強さ、しなやかさ、そしてランニングのみならず人生の経験が大きく反映される競技なのではないかという事だ。
さすがに30歳代の頃に比べて体力的なものは下降線を辿っているように感じるが、それを補って余りあるほど、身体の動きはスムーズだ。無駄な事は「しない」。否「できない」と言ったほうが正しいのかもしれないが、逆に言えば若い人は無駄な事に時間と労力を費やして遠回りしているように感じる。ただし若い時はそのような遠回りも必要だと思うが(自分がそうだったように…)。
人生の経験を積んでくると、ある程度今の状況を受け入れられるようにもなる。ウルトラマラソンは長く走るぶん厳しい時間帯が何度も訪れるが、その度にそれを否定していたらそこでレースは終わってしまう。その状況を否定せず、時には正面からぶつかり、時には避け、時には只管耐えながら乗り越えて行く者だけが栄光を手にする事ができるのだ。
それは決して走る事のみで培われるものではない。家族や仕事など普段の社会生活に於いて我々は様々な経験を積み、修羅場を潜り抜けて成長していく。そこで学習してきた事が衆目環視の裡に晒されるのがウルトラマラソンの舞台であると思う。
言わば「ウルトラマラソンは人生であり、人生はウルトラマラソンのようなものだ」と解釈できるのではないか。
何事に於いても言える事だが、一番大事なのは「バランス感覚がしっかり保てているか」という事だ。
週末は基本的に家族と過ごす事にしているが、レースが近くなると8時間ほど練習で出かける時もある。しかしそのような場合でも朝早くに家を出て、お昼くらいには走り終えて帰宅し、午後は買い物に出掛けたりして家族水入らずの時を過ごす。自宅から75km離れた温泉宿へ私は走って。家族は電車で向かい、現地で合流して一泊のんびりと過ごす事もある。せっかくの週末を走る事だけで費やしてしまうのは大変勿体無い事であり、走りに偏った生活を続けるとバランス感覚が失われ、結果的にランニングにも悪い影響を与えるものだと思っている。
決して特別なものではない「人生の一部」としてのランニングを今後もバランスよく続けて行きたい。